小田原熱海間で鉄道の工事がはじまった頃、8歳になる良平はトロッコ見たさに度々現場に通っていました。そしていつしか、自分も土工と共にトロッコに乗ってみたいと思うようになっていきます。
そんな良平の願いは突如として叶えられました。彼はある日、現場にいた2人の若い土工に「おじさん。押してやろうか?」と声をかけた事で、念願のトロッコに乗る機会を得る事になるのです。ですが土工についていくうちに、はじめは楽しかったものの、時間が経ち徐々に遠くへ行くにつれて、不安がこみ上げてきます。
ところが土工達はそんな良平の不安をよそに、なんと帰り道は別だから1人で家まで帰りなさいと言うではありませんか。そこで彼はなんとも言えない心細さを感じながら、自分の家まで帰っていきました。
あれから長年の月日が経ちました。良平は上京し、妻子を持ち、職も持っています。ですが塵労に疲れた彼は、その時の心細さを感じながら日々を過ごしています。一体彼は何故、現在においてそれを感じているのでしょうか。
この作品では、〈未知の世界を1人で進むことに不安を感じている、ある男〉が描かれています。
上記の質問に答える前に、一度良平が1人で家まで帰る場面の彼の心情を整理してみましょう。彼は家まで1人で帰らなければならない事を知った時、「もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――」を悟りました。この事実は8歳だった少年に、どれ程の心細さを与えたことでしょう。それを顕著に表している一文が下記にあたります。
「命さえ助かれば――」良平はそう思いながら、辷(すべ)ってもつまずいても走って行った。
1人で暗くなっていく中、殆ど歩いたことのない道を1人で帰らなければならなかった良平は、身の危険すら感じています。それは良平が無事帰宅してからも、暫くはおさまりませんでした。
そして社会に出てからも、良平はこれと似たような感覚を感じています。というのも、恐らく彼には、社会という未知の世界が自分を生命を脅かす対象として見えているのでしょう。また人生を共にしている妻子はいるものの、それらと常に一緒にいる訳ではありませんし、何より自分1人がそれらを養っていかなければなりません。ですから、孤独と不安に耐えている彼は自身の生活の中に嘗て彼が少年だった頃、死ぬ思いをしながら通った道の続きを見出していくようになっていったのです。
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