2012年12月1日土曜日

てがみーアントン・チェーホフ

 10歳もに満たない少年、ユウコフは嘗ては母と2人でマカリッチという男の、村の裕福な家庭に住み込んでいました。ですが母が死んでしまいお金を稼がなければならなくなった彼は、3ヶ月前から靴屋のお店で奉公していました。しかしその家での自信の扱いの悪さに、ユウコフは次第に萎えられなくなっていき、ある時マカリッチ宛に手紙を出すことにしたのです。彼はそこに日頃自分が受けている仕打ちの数々、またマカリッチのもとでどうしても働きたいという思いを綴りました。そしてそれを書いてポストに入れてしまうと、彼は淡い希望を胸に抱きながら安らかに眠っていったのです。

 この作品では、〈不幸な暮らしから救われる事を信じている少年が、絶望する未来〉が描かれています。

 この作品は上記にある通り、9歳の少年ユウコフが日頃の不幸な暮らしに耐えかねて、嘗て自分を住み込ませてくれていたマカリッチに対して、その思いを手紙に綴る姿が描かれています。そして彼がポストに手紙を入れたその時、彼と私達読者はホッと息をついた事でしょう。ですが、物語の終盤にある、下記の一文に注目して下さい。

 だが、あんな上がきでもつて、マカリッチさんのところへつくでせうか。

 この一文によって、読者たる私達は、ユウコフの暗く閉ざされた未来(マリッチに手紙が届かず、不幸な日々を送り続けるユウコフの姿)を想像せずにはいられなくなって行く事でしょう。これこそがこの作品の最大の狙いなのです。作者たるチェーホフは、あえて自ら少年の一連の不幸な出来事を全て書かず、必ず近い将来に裏切られるであろう期待を少年が夢見ている姿だけを描くことで、かえってこれから待ち受ける彼の不幸を鮮明に描くことに成功しています。
 そしてこの彼の作家としての手法は、日常の私たちの精神のあり方をうまく利用しています。例えば、私達が小学生ぐらいの年齢だった頃は宿題をやっていなかった時などは、お父さんやお母さん、学校の先生たちに叱られる事がとても怖かったはずです。ですが叱られる事を想像している時間と、実際叱られている時とでは、前者の方が堪えられないものがあったのではないでしょうか。これは、前日には確実に起こりうるはずの出来事に注意を払うあまり、かえって現実に起こりうる事以上の恐怖を私達自らが想像してしまっていたのです。
 そして物語の私達の見方としても、同じ現象が起こっています。私達は少年ユウコフに感情移入すればする程、彼の描く将来が裏切られた時の彼の心の痛みをどんどんと膨らませずにはいられなくなっていくのです。

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