前回までの手記では、これまでサリバンが持っていた〈ゆっくりと教育していく中で愛情を勝ち取る〉という方法論にどうやら問題があるため、ヘレンの教育は滞っている、という事が書かれていました。そして今回彼女は、ある大きな決断を下す事になるのです。
なんと彼女はヘレンを親元から離し、2人だけで「つたみどりの家」という場所で暮らすことにしました。そしてこの決断はサリバンの内面を考えても大きな決断であったと言っても過言ではありません。と言いますのも、これまで持っていた方法論を完全になげうって、ヘレンを〈服従させる〉為に「つたみどりの家」にうつったのですから。彼女曰く、そうする事こそが知識と人間的な精神を勝ち取る為の大きな一歩だというのです。
しかし多くの読者からしますと、ある疑問が浮上してくるのではないでしょうか。それは、何故ヘレンを〈服従させる〉事がそれらに繋がっていくのか、ということです。
上記の質問に答える為には、まずは現在の私達の人間的な精神というものが「どのように生成されていった」のか、という事を考えなければなりません。「生成」というからには、当然のことながら人間の精神というものが、人間が誕生した時点から私達の現在の精神のあり方がはじめからあった、或いは神様からある日突然授かったものであるということを主張したいわけではありません。それは猿から人間に近い猿へ、そこから人間へと物質的に進化していく過程の中で、精神もまた物質の必然性を受けて発展していったに違いありません。
例えば、人間がまだ誕生して他の類人猿とそう変わらない生活をしていた頃、日本ならば無政府社会の時代においては、集団で狩りをしてはいたものの、たまたまその場にいた者同士が狩りをして生活をしていただけの単純な社会性しかありませんでした。ですので複雑な事を考える能力は低く、表情も動物に近かったのかもしれません。
ところが、小国分立時代になると水田耕作がはじまります。そうなると人々は隣の者同士と協力し合い、作物を耕さなければなりません。ですから、個人個人がこれまでのように自由気ままに暮らしていては食料を枯らしてしまいかねませんので、他人を意識しながら暮らす必要がでてきたわけです。ここまできて、はじめて社会の土台ができはじめてきたと見て良いでしょう。そして隣の人々との関係を意識しはじめたことで、個人も相応の振る舞いをする必要が出てきます。体調が多少悪くても、作業が進んでいなければ仕事に出なければならない日があったのかもしれません。自分の家の食料が潤っていても、他の人々の食料がなければ働きにいかなればならない日があったのかもしれません。
そして、こうした事情は時代が進むとより複雑になっていった事でしょう。小国がある程度大きくなると、今度呪術によって他の小国を支配しはじめます。当然支配されていった小国の人々としては、大きな顔をして歩いているわけにはいきません。例え、この頃の奴隷が非道な扱いをされていなかったのだとしても、支配している側の人々に譲らなければいけない場面も多少なりともあったはずです。この時、支配されている側の気持ちとしては、多少の苛立ちや腹立たしさがあったのかもしれません。
このようにして、私達の精神というものは歴史による物質的な条件、社会の発展の中で徐々に生成されていったのです。そしてこれは個人においても同じことです。私達の現在の表情というものは、周りの大人達の模倣をすることで、その場に相応しい表情、振る舞いというものを学んでいき、徐々に自分のものとして取り込んでいきます。
ところが、ヘレンの場合はこれまで自由気ままに生きてきた為に、他人の真似をするということはなく、あくまで自分流のやり方でものごとを進めようします。これでは人間の精神が彼女に宿るはずもありません。幾らゆっくりやろうとも、サリバンへの愛情が生まれないのもその為だったのでした。そこでサリバンは彼女を両親のもとから離し、強制的に模倣させることで人間の精神を育んでいこうとしたのです。果たして、彼女のこの試みは上手くいくのでしょうか。
2013年8月31日土曜日
2013年8月29日木曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月月曜の午後(修正版)
前回の手記では、サリバンがヘレン・ケラーと出会った数日間の出来事と、その間に固められていった、〈子供の内的な衝動を効率よく発散させる為に、訓練を行う中でゆっくりと愛情を勝ち取っていく〉という彼女に対する教育方針とが記されていました。そして今回は、実際の彼女に対する教育の様子が描かれています。
それは朝の食事風景が舞台となっていました。というのも、ヘレンの食事作法というものは凄まじいもので、自分のもの他人のものに拘らず、気に入ったものが出てこようものなら手づかみで漁る、と言うものだったのです。そしてサリバンとしては、こうした彼女の衝動を抑えながら人間的な食事作法を教えていく必要があります。
ところがサリバンが彼女の皿に手を伸ばすことを許さなかった為に、ヘレンは衝動を抑えるどころか爆発し、蹴ったり叫んだり、サリバンの椅子の足を引っ張ったりしました。しかしサリバンもサリバンで、彼女がいかに喚こうが叫ぼうが、絶対に自身の皿に手を入れさせる事はありません。またナプキンをたたむ際も、同じような事が起こりました。ヘレンはナプキンをたたむ事なくその場を去ろうとしたので、サリバンが彼女に自らそれをたたませようとしたのです。
上記の事件があった後、サリバンはベッドに身を投げ出し、思う存分泣いて気分を晴らしたといいます。この時、彼女の脳裏では、それまで自分が考えた〈ゆっくりと愛情を勝ち取っていく〉という方法論が崩れかけていった事でしょう。それは下記の引用を見ればよく分かるかと思います。
私が教えることのできる二つの本質的なこと、すなわち、服従と愛とを彼女が学ぶまでには、この小さな女性と今日のような取っ組み合いのけんかを何回もやることでしょう。
さようなら、ご心配なく。私は最善を尽くすつもりです。あとは人間にできないことをうまくやってくれる何かの力にお委せするだけです。
ここでは以前の彼女の方法論にはなかった、「服従、征服」といった概念が登場してきました。そして前回の手記では力だけで彼女を征服はしないと述べていましたが、この前半の文章では全く対照的なことが書かれています。また、後半にはそれまでの方針を捨て去るような事を示唆する事が綴られているのです。さて彼女のは自身の教育方針をどのように軌道修正していったのでしょうか。それはどうやら次回の日記によって明確に記されているようです。
それは朝の食事風景が舞台となっていました。というのも、ヘレンの食事作法というものは凄まじいもので、自分のもの他人のものに拘らず、気に入ったものが出てこようものなら手づかみで漁る、と言うものだったのです。そしてサリバンとしては、こうした彼女の衝動を抑えながら人間的な食事作法を教えていく必要があります。
ところがサリバンが彼女の皿に手を伸ばすことを許さなかった為に、ヘレンは衝動を抑えるどころか爆発し、蹴ったり叫んだり、サリバンの椅子の足を引っ張ったりしました。しかしサリバンもサリバンで、彼女がいかに喚こうが叫ぼうが、絶対に自身の皿に手を入れさせる事はありません。またナプキンをたたむ際も、同じような事が起こりました。ヘレンはナプキンをたたむ事なくその場を去ろうとしたので、サリバンが彼女に自らそれをたたませようとしたのです。
上記の事件があった後、サリバンはベッドに身を投げ出し、思う存分泣いて気分を晴らしたといいます。この時、彼女の脳裏では、それまで自分が考えた〈ゆっくりと愛情を勝ち取っていく〉という方法論が崩れかけていった事でしょう。それは下記の引用を見ればよく分かるかと思います。
私が教えることのできる二つの本質的なこと、すなわち、服従と愛とを彼女が学ぶまでには、この小さな女性と今日のような取っ組み合いのけんかを何回もやることでしょう。
さようなら、ご心配なく。私は最善を尽くすつもりです。あとは人間にできないことをうまくやってくれる何かの力にお委せするだけです。
ここでは以前の彼女の方法論にはなかった、「服従、征服」といった概念が登場してきました。そして前回の手記では力だけで彼女を征服はしないと述べていましたが、この前半の文章では全く対照的なことが書かれています。また、後半にはそれまでの方針を捨て去るような事を示唆する事が綴られているのです。さて彼女のは自身の教育方針をどのように軌道修正していったのでしょうか。それはどうやら次回の日記によって明確に記されているようです。
2013年8月22日木曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版)
この作品はタイトルにもある通り、アン・サリバンによるケレン・ケラーへの実践記録(※1)を中心にして、彼女がどのように言語を習得していったのか、またそうした教育を通して、どのように人間としての精神を培われていったのかということが描かれています。というのも、皆さんもご存知の通り、ヘレン・ケラーという女性は幼い頃に重い病気を患ってしまい、以来耳が聞こえず目が目が見えず、よって言葉すらも覚える事が出来ない状態でした。周囲の人々はこんな彼女の様子を見て、きっとそれも仕方のないことであると諦めていたことでしょう。ところが、アン・サリバンが彼女の家に訪問してからたった2年のうちに、その状況は打ち破られてしまうことになるのです。彼女は盲、聾というハンデを乗り越えて、言葉を理解し、更には自分の口で会話する事もできるようになっていったのでした。そしてその背景には、精神的な成長があることも見過ごせない事実のひとつです。ヘレンは言葉を理解する以前は、短期でわがままで自分を抑えることを知らない野生児のような子供でした。それがサリバンの教育を受けていく中で、私達と何ら変わらない、若しくは私達以上の教養ある人々の中の1人として成長していったのです。
そこでここでは、ヘレンがサリバンの教育を受け、言葉を理解し、自身で使っていけるようになる中で、彼女の精神というものがどのように変化し、人間的なものへと転化していったのかを見ていきたいと思います。
サリバンがヘレン・ケラーと出会いを果たした1887年、3月3日。彼女はこの日から多くとも数日のうちに、ヘレンの教育に関する重大な欠点を見抜いていました。というのも、ヘレンは他人のバッグやプレゼント(キャンディ)を勝手に触る、探す。活発でとどまる事をしらないけれども、人間的な表情とは少し遠いそれをする等、とても7歳前の子供とは思えない(※2)行動や顔つきをしていたのです。彼女には明らかに精神的な欠陥があるのでした。
通常、子供というものは外を思いっきり走ったり、友達と遊んだりする事によって、自身の内から湧き出る衝動を発散する事が出来ます。ところがヘレンの場合は、自身の障害の為にそれらの事が出来ないどころか、知ることすらないのです。よって彼女は決して解消される事のない内的な衝動を、自身の気の向く儘に少しずつ発散していくしかありません。また、彼女の両親が道徳的な人物でありながらも、ヘレンの障害が彼女へのしつけを困難にさせている事も見過ごせない点として挙げられるでしょう。
そして上記を踏まえた上で、サリバンはヘレン・ケラーの教育において、〈彼女の内的な衝動を失わせる事なく、それを彼女自身に制御させ、いかに効率的に発散させていくか〉という目的論を獲得していったのです。ここで一部の人々からは、「内的な衝動が彼女の教育やしつけを妨げているのであれば、それを取り除いた方が良いのでは?」という声もあるやもしれません。確かにヘレンの場合、子供らしい内的な衝動が裏目に出ていることは明白です。ですが、子供のこうした衝動こそが、彼らを教育する上で欠かせない事も事実でしょう。例えば皆さんのうちにも、子供の頃友達よりも多く漢字を覚えて自慢したいという衝動から手が黒くなるまで字を書いた、或いはなかなか出来ない鉄棒の逆上がりを日が暮れるまで練習したといった経験を持っている方は少なくないはずです。子供の内的な衝動そのものが教育にとって害悪なものではなく、彼女の発散の仕方が悪いから害悪になっているだけなのです。
またサリバンは自身の立てた目的論を達成する為に、力のみで征服しようとするのではなく(ここには、人間の道に逸れた場合にはそうするという含みがあります)、「ゆっくりはじめて、彼女の愛情をかちとろう」という方法論を立てていきました。(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
例えば、幼い頃に習い事をした事のある方なら共感して頂けるとは思いますが、はじめは両親や先生から嫌々させられていた硬筆や剣道でも、ある日ふと褒められるようになり、やがては自ら先生に自分の字や技を見せるようになっていったという経験はないでしょうか。嫌々していた事でも、「褒められる」等して子供らしい欲求を満たされる事で、それが快感になっていった、という構造がそこにはあります。そして快感に変わっていく過程の中で、それまで怖いだけの教育者(両親、先生)が自分の欲求を満たしてくれる存在へと転化していったのではないでしょうか。そしてサリバンの場合も同じです。はじめは嫌われ、勉強が嫌いになったとしても、彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待しているのです。
脚注
1・正確にはサリバンの母親代わりである、ホプキンス夫人に宛てた手紙。彼女は夫人にヘレンの教育の様子をこまめに知らせていたようです。
2・サリバンと出会った時、ヘレンは満7歳になる3ヶ月前であった。
そこでここでは、ヘレンがサリバンの教育を受け、言葉を理解し、自身で使っていけるようになる中で、彼女の精神というものがどのように変化し、人間的なものへと転化していったのかを見ていきたいと思います。
サリバンがヘレン・ケラーと出会いを果たした1887年、3月3日。彼女はこの日から多くとも数日のうちに、ヘレンの教育に関する重大な欠点を見抜いていました。というのも、ヘレンは他人のバッグやプレゼント(キャンディ)を勝手に触る、探す。活発でとどまる事をしらないけれども、人間的な表情とは少し遠いそれをする等、とても7歳前の子供とは思えない(※2)行動や顔つきをしていたのです。彼女には明らかに精神的な欠陥があるのでした。
通常、子供というものは外を思いっきり走ったり、友達と遊んだりする事によって、自身の内から湧き出る衝動を発散する事が出来ます。ところがヘレンの場合は、自身の障害の為にそれらの事が出来ないどころか、知ることすらないのです。よって彼女は決して解消される事のない内的な衝動を、自身の気の向く儘に少しずつ発散していくしかありません。また、彼女の両親が道徳的な人物でありながらも、ヘレンの障害が彼女へのしつけを困難にさせている事も見過ごせない点として挙げられるでしょう。
そして上記を踏まえた上で、サリバンはヘレン・ケラーの教育において、〈彼女の内的な衝動を失わせる事なく、それを彼女自身に制御させ、いかに効率的に発散させていくか〉という目的論を獲得していったのです。ここで一部の人々からは、「内的な衝動が彼女の教育やしつけを妨げているのであれば、それを取り除いた方が良いのでは?」という声もあるやもしれません。確かにヘレンの場合、子供らしい内的な衝動が裏目に出ていることは明白です。ですが、子供のこうした衝動こそが、彼らを教育する上で欠かせない事も事実でしょう。例えば皆さんのうちにも、子供の頃友達よりも多く漢字を覚えて自慢したいという衝動から手が黒くなるまで字を書いた、或いはなかなか出来ない鉄棒の逆上がりを日が暮れるまで練習したといった経験を持っている方は少なくないはずです。子供の内的な衝動そのものが教育にとって害悪なものではなく、彼女の発散の仕方が悪いから害悪になっているだけなのです。
またサリバンは自身の立てた目的論を達成する為に、力のみで征服しようとするのではなく(ここには、人間の道に逸れた場合にはそうするという含みがあります)、「ゆっくりはじめて、彼女の愛情をかちとろう」という方法論を立てていきました。(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
例えば、幼い頃に習い事をした事のある方なら共感して頂けるとは思いますが、はじめは両親や先生から嫌々させられていた硬筆や剣道でも、ある日ふと褒められるようになり、やがては自ら先生に自分の字や技を見せるようになっていったという経験はないでしょうか。嫌々していた事でも、「褒められる」等して子供らしい欲求を満たされる事で、それが快感になっていった、という構造がそこにはあります。そして快感に変わっていく過程の中で、それまで怖いだけの教育者(両親、先生)が自分の欲求を満たしてくれる存在へと転化していったのではないでしょうか。そしてサリバンの場合も同じです。はじめは嫌われ、勉強が嫌いになったとしても、彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待しているのです。
脚注
1・正確にはサリバンの母親代わりである、ホプキンス夫人に宛てた手紙。彼女は夫人にヘレンの教育の様子をこまめに知らせていたようです。
2・サリバンと出会った時、ヘレンは満7歳になる3ヶ月前であった。
2013年8月1日木曜日
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年4月3日
今回の手記では、主にヘレンの日頃の様子と単語学習の成果について書かれています。その中でも単語学習について、彼女は動詞を含めた多くの単語をこの時点で知っているというのです。ですがサリバン曰く、彼女の「言葉」という概念は、まだまだ曖昧で、それぞれの意味自体もあやふやなものなのだと言います。彼女が自身から「言葉」というものを理解するには、もう少し時間がかかるようです。
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