世界大戦の後のこと、フランスはドイツとの戦争に負けて、アルザス・ローレイヌ州を奪われてしまいます。その為、それまでフランス語を学んでいたアルザスの子供達は、戦後ドイツ語を学ばなければならなくなってしまったのです。
そしてアルザスにある「私」たちの小さな学校にも、フランス人のハルメ先生の後任として、情け容赦ないドイツ人教師、クロック先生がやってきました。彼はどうのような理由が生徒にあろうとも、自身の規律に従わない者には、体罰を与えます。その為、学校の子供達からはひどく恐れられていました。
しかし8歳の時に両親をなくし、勉強をこれまでほとんどしなかった少年、ガスパールだけはこの恐ろしい教師に対して反抗的な態度をとっていました。そんな彼はある時、クロック先生や他の子供達と牧場へ遊びに出かけた事をきっかけに脱走を謀ります。ですが、か弱い10歳の少年は冷徹な、ドイツ人教師によって自分の家に帰っているところを呆気なく発見されてしまいました。ところがガスパール本人は、脱走した事に対して悪びれる様子もなく、「あゝ、さうだよ。ぼくはにげて来たんだよ。二度と学校にいきたくないんだよ。ぼくはドイツ語なんか――どろぼうの、人殺しの言葉なんか、話さないよ。父さんや母さんのやうに、フランス語を話したいんだよ。」と反抗してみせました。しかしいざ大人たちが彼を拘束し、馬車に乗せられると悲しいアルザスの方言で「放しておくれよ、クロック先生。」と哀願しはじめます。そしてその哀願は、傍で聞いていた「私」の耳から夜通し離れる事はありませんでした。
この作品では、〈母国語を学ばなかった故に、かえって他の人々よりも母国語への思いを強くしていった、ある少年〉が描かれています。
この作品の主体性というものは、言うまでもなく、ガスパースのドイツ語を学ぶことに対する、他者よりも強い拒否の姿勢から成り立っています。では彼は(フランスがドイツに負けたとは言え、)何故そこまで強くドイツ語を勉強する事を拒否しなければならなかったでしょうか。それはガスパールが両親を失っている事と、これまでまともにフランス語で勉強をしてこなったという2つの要素が大きく関わっているようです。
彼は「父さんや母さんのやうに、フランス語を話したいんだよ。」という台詞からも理解できるように、どうやら両親という存在とフランス語を強く結びつけています。恐らく、ガスパールは日頃から両親と同じようにアルザスのフランス語を話すことによって、過去の遠い記憶の彼らとの結びつきを強く感じていたのでしょう。また彼はその他でフランス語を用いたり、勉強したりする環境がありませんでした。そうした要素が彼のフランス語と両親との結びつきをより一層強くしているのです。
ところが彼が幾らドイツ語を拒絶し、フランス語を話して両親との距離を縮めようと試みようとも、ドイツ人による支配が彼の思い出を奪っていってしまいます。この作品のラストで、ガスパールが「放しておくれよ、クロック先生。」とアルザスの方言で訴えるシーンはその事への象徴なのです。そして、こうした「ドイツによるフランス侵略への苦悩」は、この作品に登場するフランス人の誰もが感じている問題でもあります。だからこそ、「私」はガスパールの悲しい訴えがその日の夜離れる事はなかったのです。
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