2014年2月24日月曜日

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜3月20日(修正版)

 今回は、3月20日にある、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。全てが変わりました。」という2行を中心にして、その前後で、ヘレンの内面がどのように変化していったのかを中心にして、本書をまとめていきたいと思います。というのもそれらの言葉通り、彼女はこの日を堺に自身とその周りの環境全てをかえたのであり、それを考える事はサリバンの教育論を考える上で避けては通れない問題とも言えます。
 そこでここでは、その2行の前後の期間をそれぞれ規定し、どうのような必然性があった為にヘレンはそう変わらざるを得なかったのかを考えていくつもりです。

 そもそも私の以前のレポートにも書いてあった通り、ヘレン・ケラーという少女の教育における問題というものは、身体ではなく精神の方にありました。つまり目が見えない、口がきけない、耳が聞こえないということ以外、私達と何も変わらなかったのです。
 ですが、彼女の両親はそうした障害に同情しているが故に、ヘレンの言うことをなんでも聞いてしまっていました。その為、性格はとても我儘になり、不満があると苦い結果を残すまで争うことをやめようとはしません。
 また両親はヘレンとまともに会話、意思の疎通をはかる術を持ちあわせてはおらず、彼女との関係は常に彼らの努力のみによって成り立ってきました。ですから、彼女は自分から何か訴える事があっても、何かを受け止める事はありません。サリバンが文中において、「彼女の愛情や思いやりや他人の賞賛を夜転ぶ子供らしい心に訴えるすべが一つもありません。」と書いてあったのはこのためです。
 私はこの期間を、欲求を抑えず常に放出し、愛情(ここでは物理的な接触や言葉によって精神が満たされること)に訴える心を持ちあわせておらず、ただ自分から何かを訴えているばかりの状況から、「欲求放出期」と名付けることにしました。

 そこでサリバンは、その原因となった両親から引き離し、全く違う環境で、彼女を征服することでこの期間からヘレンを脱出させようとしたのです。
 それではそうした環境に追いやられた事によって、ヘレンはどのように変化していったのでしょうか。
 サリバンに征服された事によって、ヘレンはこれまでのように欲求を好きなように放出する事ができなくなっていきました。そしてこれまでのように、両親のように彼女の我儘を許してくれる存在がいないのもその一因となっていることも見逃せません。ですから、彼女はサリバンに服従する中で、それなりの発散の仕方を見つけるしかなく、自然と指文字や言葉に興味を向けていったのです。
 またサリバンの教育スタイルとしては、征服というぐらいですから、当然サリバンからヘレンへ、何かしらの強制力が働くことになります。つまりそれまでの、ヘレンから誰それへ何かを訴える流れとはまるで逆なのです。ですからヘレンは、他人の思いやりや愛情を受け止める器というものを形成せざるをえなくなっていきました。だからこそ彼女は、3月20日のその日には、サリバンの傍で、晴れやかな顔をして編み物をしていれたのです。
 上記のように、征服によって強制的に欲求を抑えられたこと、そしてその強制力から相手の征服や大まかな感情を受け止める器を形成していった事から、この期間を、「欲求制御期」と規定することにしました。

2014年2月14日金曜日

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたか1887年3月6日〜3月20日

 レポートの数も大変多くなってきましたので、今回はこれまで私が書いてきた、3月6日から20日までの出来事をおさらいしてみようかと思います。おさらいとは言いましたが、単に整理していくのではなく、3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのかを論じていくつもりです。というのも本文にある、「知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。」という一文からも理解できるように、この日からヘレンは教育において質的に次の段階へと進んでいった過程が潜んでおり、これを論じていくことは本書を理解していくことにおいて避けては通れません。そこでまずは3月20日以前と以後の彼女を比較し、それぞれが教育においてどのような段階にあったのか、どのような期間であったのかを規定し、前後の違いを論じていきます。

 私は以前、自身が書いたレポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版5)において、ヘレンは普通の7歳前後の子供達と比べて身体面に異常はなく、その問題というものは、「好奇心を抑えられない、社会性が乏しく誰がきても自分の我儘を通そうとする精神的な気質にある」と述べていました。
 そしてそれはどのようなものであったのかというと、食事の作法と言えばナプキンも付けず、辺りにあるものはナイフやフォークを使わず手づかみで食べ、お客さんが来るかと思えば勝手に鞄の中を覗こうとし、そうかと思いそれを制止しようとすれば暴れてしまう、というものだったのです。これらの行動からこの期間の彼女の特徴は、下記のような事になるでしょう。

◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。

 私はこの期間を、欲求を抑えず常に開放し、社会性を無視した行動をとるために、「欲求開放期」と仮に名付けることにしました。
 そしてこの「欲求開放期」のもう一つの特徴として、「愛情を受け取る器がない」という事が挙げられるでしょう。ここでいう「愛情」とは、一般的な、誰かが誰かに好意を寄せる時にとる行動等の事ではなく、物理的な接触や言葉によって精神が満たされる現象を指す事を意味します。これまで好き勝手に欲求を満たしてきたヘレンにとって、「愛情」などというものの存在など無縁であった事でしょう。そしてサリバンはこれこそが自身の教育において大きな障害になるだろうと考えていきます。
 そこで彼女は「征服」という手段によって、それをヘレンに植え付けようとしたのでした。ここで注意して頂きたいのは、ここでいう「征服」とは、人として倫理的、道徳的に外れた行動を強制的に正していくという意味を指すということです。(詳しくは3月月曜の午後、3月11日のレポートを参照)やがてこの彼女の試みは成功し、3月20日以降のヘレンの行動は劇的に変わりました。
 服従を学んだ事で、彼女はサリバンが監視している範囲では、ある程度欲求を抑える事ができはじめてきました。(ですが彼女と同年代の子供達に比べると、その効力はまだまだ薄いものであると言えるでしょう。7歳前後であれば、ある程度、大人から離れていても、自らの欲求を抑える術をある段階までは身につけているはずですから。)またサリバンのキスを許したり、サリバンの膝の上に乗ったりと、形式的ではあるかもしれませんが、愛情の存在を感じつつあるようにも見えます。ですからこの期間を「愛情獲得期」と呼ぶことにしましょう。

欲求解放期
◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。
◯愛情を受け取る器がない。

愛情獲得期
◯愛情を感じつつある。
◯サリバンがいれば、欲求を抑える事ができる。

 この2つの期間を比較すると、その違いはやはり欲求が抑えられるか否か、相手の精神的な好意を受け止められるか否かにあるのです。