自身のアタマの中に引き篭りがちである「私」は、しばしば、昼となく夜となく下記のような夢を見ています。
――海岸の深い淵のなか、水面から僅かにのぞき出てる、苔むした滑らかな巌の上に、誰かがじっとしがみついている。――幾抱えもある巨木の根本に、何を 為すでもなく、何を見るでもなく、永遠の彫刻のように、誰かが静かに佇んでいる――。荒野の中を、誰かが歩いている。片方は底知れぬ深い断崖である。もし 覗きこめば、視線と共に体まで底へ引きずりこまされそうだ。危い。ただ歩いている。――誰かが呪文のようなことを唱える……大凶と大吉との交叉する一刻 だ。悪魔になりたいか、神になりたいか。息をひそめよ、息をひそめよ。
一方現実では、具体的な症状がないにも拘らず、自分自身を「病気」だと診断しています。そして職場の同僚であり肉体関係を持っていると思われる「久子」や「ばあや」が、献身的に彼を看病しているにも拘らず、自堕落な日々を過ごしているのです。
そんな彼にも身の周りの女性、特に「久子」に関しては、多少の不満があるようでした。キスをする時には眼鏡を外さない無頓着さ、結婚を要求して上記のような彼の孤独の空想を邪魔しようとするところ等が、彼には不愉快なのです。ですが無論、「久子」のすべてが嫌いかと言えばそうではありません。彼女が和服が似合うところや他者を想い合えるところについては、一定の評価を下しています。が、彼にはそうした長所と短所を兼ね備えた「久子」を同一の人物として見ることが出来なのだと云います。
そんな中、彼のアタマの中にふと、「然し、これがもし「清子」だったならば、そのようなものは全然不要だったろう。」という思いが浮上してきはじめました。「清子」とは「淵の中の巌が見え、古い大木が見え、崖ふちの道が見え」るところから登場した、和服姿の女性です。そして彼女はしばしば、「私」の夢と現実の間からひょっこりと顔を出して、「久子」には甘えられないが、もし「清子」ならば甘えただろう。一般的な女性は結婚で男の自立性を失わせるが、「清子」ならばそのような心配はない、といった具合に世の女性の欠点を埋めていきます。
ところがそんな彼女が突如として消えなければいけない事件が起こりました。きっかけは、「私」が「ばあや」に赤い色気のある箱枕を買ってくれたところからはじまります。彼はその箱枕に寝転びながら外にある百日紅を眺めていると、「清子」を想い起こし、箱枕に寝かせてみたならば、という妄想に耽っていきました。
そこに彼の友人たる「尾形」と「久子」が見舞いにやってきました。そこで「久子」は例の箱枕を発見し、「私」に他の女性の影があるのではと邪推し、彼の傍に投げ出したのです。「清子」を汚されたと感じた彼は憤慨し、
「もう帰ってくれ。君たち帰ってくれ。僕は一人でいたいんだ。この大事な箱枕をして、彼女のことを考えていたいんだ。一人きりでいたいんだ。何をぐずぐずしてるんだ。帰れよ。僕はもう一切口を利かないぞ。黙って一人でいたいんだ。」
と言って二人を追い出しました。ところが肝心の彼女は、彼らが去ると共に、アタマの中から消えてしまったのです。一体何故彼女は消えてしまったのでしょうか。
この作品では、〈自身のアタマの中に引き篭もりがちな男が、現実の女性と関わっていく中で聖女をつくりあげる事で、より引きこもらなければならなくなっていった様子〉が描かれています。
上記の問題を解き明かす為に、もう一度、「清子」が「私」にとってどのような存在であり、またどのようにつくりあげられていったのかを見ていきましょう。
もともと現実よりもアタマの中で暮らしていく事が好きな「私」は、一定の長い期間、「久子」を観察する中で、自分の中に「好きな久子」と「不満のある久子」が存在している事を自覚していきます。そうして自覚していくうちに彼にとってそれらは、同一の人物として見ることが出来なくなっていきます。彼はこのようにして、現実に存在する「久子」を好きな部分とそうでない部分に切り分けて考えていきました。そして恐らく、「久子」ばかりではなく、彼は身の回りのあらゆる女性をこうして二つに分けて、アタマの中に完璧な女性、つまり「聖女」の像をつくり上げていったのです。
余談ですがこのように述べると、「私」という人物は、現代で言うところの所謂「オタク」に似た存在だと読者は思われる事でしょう。確かに自分のアタマの中で理想の女性像を育むといった点に置いた点では共通しています。しかし、オタクの場合は現実の女性ではなく、あくまでもアニメーションや漫画のそれといった、誰かがつくった創作物を参考にしています。ですから、その分現実の女性とはかけ離れた「聖女」をつくりあげてしまうのです。一方の「私」はあくまで現実の女性を参考にしているので、精度としてはこちらの方が、より現実に近い女性なのだと言うことが出来るでしょう。
そして、彼女は、どんどんと彼の中にある、主に現実の女性への不満を栄養として育っていきます。そして遂には、箱枕という道具を用いる事で、「私」のアタマから離れて、彼と共に寝転がるまでの存在になっていきました。
ところが彼女の誕生と発展の中にこそ、彼女の死が存在しています。それは「久子」が箱枕を投げる場面を整理すれば理解できるはずです。
箱枕を鍋られた「私」は、友人である「尾形」と「清子」の主なモデルであった「久子」を怒鳴って追い出します。すると、モデルを失った、不完全な「清子」はどうなるのでしょうか。
ここで話をすすめる前に私が何故彼女を不完全と彼女を評したのかについて、説明を加えておきたいと思います。それは「清子」が彼のアタマの中でまだまだ曖昧な存在であったからに他なりません。
例えば私たちは、自分の尊敬する指導者や俳優を思い描く時とはどのような時でしょうか。きっと直接指導されている内容を一人で実践している時や、スクリーンと似たようなシチュエーションを直接見た時、若しくはアタマの中で設定した時など、かなり限定的な空間において思い浮かべる事でしょう。しかし、一歩私生活や恋人や家族と過ごしている彼ら、或いは未来の彼らを思い浮かべてみろと言われたのならばどうでしょうか。このように他人の像というものは、一般的には一定の範囲名では鮮やかに描くことが出来ますが、その像が弱い時に違ったシチュエーションで彼らを想起しようとしてもなかなか出来なのです。
ですから、そうしたモデルという手がかりを失った「清子」という存在は、それなしには生きられず、彼のアタマの中から消えなければならなかったのです。しかし完全に消えたのかと言えばそうではありません。下記は、「尾形」や「久子」が去った後の場面を描いています。
――私は眼を開く。そこには誰もいない。尾形も久子も帰っていったらしい。婆やもいない。ただ私一人だ。もう清子もいない。清子は果して実在の人間だろうか。そうだ、私にとっては架空のものではない。――
つまり「私」はアタマの中の「清子」という存在を現実の女性と同列に並べることによって、更にその像を膨らませようとしているのです。尚、この一文というものは、読者たる私たちに、同時に今後の彼の未来が不吉なものだと暗示させていることも見逃してはならないものであると言って良いでしょう。
2016年2月9日火曜日
2016年2月5日金曜日
風ばかー豊島与志雄
ある時、学校で先生が言った、「人間は正しく左右対称ではないために、目を瞑った儘、真っ直ぐ歩くことはできない」という発言を受けて、子どもたちは放課後本当に真っすぐ歩けないのか野原で実証してみることにしました。
しかしそうした実験は、やがて子供達の競争心に火をつけて、誰が最も目を瞑った儘真っ直ぐ歩けるかというゲームに変わっていきます。そしてその中で唯一、まっすぐ歩くことができた「マサちゃん」は、他の子供達の賞賛を受けて、自ら指導する立場をとっていったのです。
やがて夕方になって練習も終わろうとしていた時、「マサちゃん」はもう一度皆の前で見本を見せようとしました。ところが、まさちゃんが真っ直ぐ歩いていた時とは違い、野原には風が吹いています。風は「マサちゃん」を妨害するように吹きますが、それでも彼はめげません。するとそのうち、「マサちゃん」の耳元で「ばかー、ばかー」と言ってくる「もの」があります。それは風だったのですが、なんとこの空耳を受けて、「マサちゃん」は風に本当に馬鹿にされたのだと勘違いして、風に向って怒鳴り出したのです。
そして家に帰って彼は、両親に今日あった出来事を話しました。すると「お父さん」は、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」
と指摘しました。「マサちゃん」は聞き返します。
「風って、息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
そうした「まさちゃん」の発言を聞いて「お父さん」は声高く笑いました。そしてそれに続く形で、「マサちゃん」もお母さんも笑い出します。そしてガラス戸の外で風が吹いている事を確認すると、「マサちゃん」は、「ばかな風だな」と言って晴れ晴れと笑ったのでした。
この作品では、〈風というものを常識の観点から眺めている大人の観点と、自分たちと同じ、生き物のように捉えている少年のイキイキとした感性との対比〉が描かれています。
物語の最後で、「お父さん」は「マサちゃん」の、「ばかな奴だな」というコメントを聞いて笑い、「マサちゃん」もそれに続く形で笑ってはいるのですが、果たして二人の笑い方は同じところを笑っているのでしょうか。
この問題を解くにあたり、もう一度物語を「マサちゃん」の世界観での「風」というものと、「お父さん」の世界観での「風」というものを比較してみましょう。
まず、「マサちゃん」は、自身の遊びの妨げとなっている風に対して、「ばかー、ばかー」という「音」を聞いて、憤慨します。この時、「マサちゃん」は風をあたかも自分たちと同じような「意思」を持ち、自由に動けるものとして扱っているのです。
一方、「お父さん」はこの「マサちゃん」の話を聞いて、「風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」とコメントしています。つまり「お父さん」は、大人の常識的な観点から、風が意思を持たない事を説明しようと試みているのです。
そして「マサちゃん」が、今度は風って、息をするんですか」と言って、風の正体について興味を持ちはじめます。「お父さん」はこれについて、「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」と、風が自分たち人間とは違い無機質なものであることをやんわりと伝えようとしました。
それを受けて「なんの息?」と、今度は風の裏側にある意思を探そうとしています。
そして「お父さん」も、「マサちゃん」がまだありもしない実体を風の中から探そうとしている事を感じ取り、すぐに修正しようとしているのです。
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
しかしこれま「マサちゃん」にとっては衝撃でした。何故ならば、それまでの「マサちゃん」の世界観では、万物は皆意思のようなものを持っており、自分たちと同じように自由に動きまわっていると考えているのですから。だからこそ、自分たちとは違う存在がいることを確認するために、
「ただ、息だけ?」と聞き返しているのです。そして「ばかな奴だな」と笑うのでした。
ここで注意しなければならないのは、「マサちゃん」は何も風を無機物だ、とは考えていないということです。「マサちゃん」は、自らの意思とは関係なく運動している存在は認めてはいるものの、「モノ」にはすべて意思があるという世界観を捨て切れず、風のことを「奴」と表現しているのです。ですから、ここでの彼の笑いというものは、「自らの意思で動けず、僕達とは違って不自由に動いているなんて、風はばかだなぁ」と笑っているに過ぎません。
それに対してお父さんは、常識的な立場から「マサちゃん」を見て、「大人は風に心がない事をしっているから何も思わないが、子供が風に対して悪態をつくなんて、面白いものだなぁ」と、冷静に分析した上で笑っています。
一つの表現は同じでも、どうやらその文脈は全く違うものだったのです。
しかしそうした実験は、やがて子供達の競争心に火をつけて、誰が最も目を瞑った儘真っ直ぐ歩けるかというゲームに変わっていきます。そしてその中で唯一、まっすぐ歩くことができた「マサちゃん」は、他の子供達の賞賛を受けて、自ら指導する立場をとっていったのです。
やがて夕方になって練習も終わろうとしていた時、「マサちゃん」はもう一度皆の前で見本を見せようとしました。ところが、まさちゃんが真っ直ぐ歩いていた時とは違い、野原には風が吹いています。風は「マサちゃん」を妨害するように吹きますが、それでも彼はめげません。するとそのうち、「マサちゃん」の耳元で「ばかー、ばかー」と言ってくる「もの」があります。それは風だったのですが、なんとこの空耳を受けて、「マサちゃん」は風に本当に馬鹿にされたのだと勘違いして、風に向って怒鳴り出したのです。
そして家に帰って彼は、両親に今日あった出来事を話しました。すると「お父さん」は、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」
と指摘しました。「マサちゃん」は聞き返します。
「風って、息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
そうした「まさちゃん」の発言を聞いて「お父さん」は声高く笑いました。そしてそれに続く形で、「マサちゃん」もお母さんも笑い出します。そしてガラス戸の外で風が吹いている事を確認すると、「マサちゃん」は、「ばかな風だな」と言って晴れ晴れと笑ったのでした。
この作品では、〈風というものを常識の観点から眺めている大人の観点と、自分たちと同じ、生き物のように捉えている少年のイキイキとした感性との対比〉が描かれています。
物語の最後で、「お父さん」は「マサちゃん」の、「ばかな奴だな」というコメントを聞いて笑い、「マサちゃん」もそれに続く形で笑ってはいるのですが、果たして二人の笑い方は同じところを笑っているのでしょうか。
この問題を解くにあたり、もう一度物語を「マサちゃん」の世界観での「風」というものと、「お父さん」の世界観での「風」というものを比較してみましょう。
まず、「マサちゃん」は、自身の遊びの妨げとなっている風に対して、「ばかー、ばかー」という「音」を聞いて、憤慨します。この時、「マサちゃん」は風をあたかも自分たちと同じような「意思」を持ち、自由に動けるものとして扱っているのです。
一方、「お父さん」はこの「マサちゃん」の話を聞いて、「風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」とコメントしています。つまり「お父さん」は、大人の常識的な観点から、風が意思を持たない事を説明しようと試みているのです。
そして「マサちゃん」が、今度は風って、息をするんですか」と言って、風の正体について興味を持ちはじめます。「お父さん」はこれについて、「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」と、風が自分たち人間とは違い無機質なものであることをやんわりと伝えようとしました。
それを受けて「なんの息?」と、今度は風の裏側にある意思を探そうとしています。
そして「お父さん」も、「マサちゃん」がまだありもしない実体を風の中から探そうとしている事を感じ取り、すぐに修正しようとしているのです。
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
しかしこれま「マサちゃん」にとっては衝撃でした。何故ならば、それまでの「マサちゃん」の世界観では、万物は皆意思のようなものを持っており、自分たちと同じように自由に動きまわっていると考えているのですから。だからこそ、自分たちとは違う存在がいることを確認するために、
「ただ、息だけ?」と聞き返しているのです。そして「ばかな奴だな」と笑うのでした。
ここで注意しなければならないのは、「マサちゃん」は何も風を無機物だ、とは考えていないということです。「マサちゃん」は、自らの意思とは関係なく運動している存在は認めてはいるものの、「モノ」にはすべて意思があるという世界観を捨て切れず、風のことを「奴」と表現しているのです。ですから、ここでの彼の笑いというものは、「自らの意思で動けず、僕達とは違って不自由に動いているなんて、風はばかだなぁ」と笑っているに過ぎません。
それに対してお父さんは、常識的な立場から「マサちゃん」を見て、「大人は風に心がない事をしっているから何も思わないが、子供が風に対して悪態をつくなんて、面白いものだなぁ」と、冷静に分析した上で笑っています。
一つの表現は同じでも、どうやらその文脈は全く違うものだったのです。
2016年2月2日火曜日
風ばかー豊島与志雄(あらすじのみ)
一般性、及び論証は後日改めて書いておきます。
ある時、学校で先生が言った、「人間は正しく左右対称ではないために、目を瞑った儘、真っ直ぐ歩くことはできない」という発言を受けて、子どもたちは放課後本当に真っすぐ歩けないのか野原で実証してみることにしました。
しかしそうした実験は、やがて子供達の競争心に火をつけて、誰が最も目を瞑った儘真っ直ぐ歩けるかというゲームに変わっていきます。そしてその中で唯一、まっすぐ歩くことができた「マサちゃん」は、他の子供達の賞賛を受けて、自ら指導する立場をとっていったのです。
やがて夕方になって練習も終わろうとしていた時、「マサちゃん」はもう一度皆の前で見本を見せようとしました。ところが、まさちゃんが真っ直ぐ歩いていた時とは違い、野原には風が吹いています。風は「マサちゃん」を妨害するように吹きますが、それでも彼はめげません。するとそのうち、「マサちゃん」の耳元で「ばかー、ばかー」と言ってくる「もの」があります。それは風だったのですが、なんとこの空耳を受けて、「マサちゃん」は風に本当に馬鹿にされたのだと勘違いして、風に向って怒鳴り出したのです。
そして家に帰って彼は、両親に今日あった出来事を話しました。すると「お父さん」は、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」
と指摘しました。「マサちゃん」は聞き返します。
「風って、息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
そうした「まさちゃん」の発言を聞いて「お父さん」は声高く笑いました。そしてそれに続く形で、「マサちゃん」もお母さんも笑い出します。そしてガラス戸の外で風が吹いている事を確認すると、「マサちゃん」は、「ばかな風だな」と言って晴れ晴れと笑ったのでした。
ある時、学校で先生が言った、「人間は正しく左右対称ではないために、目を瞑った儘、真っ直ぐ歩くことはできない」という発言を受けて、子どもたちは放課後本当に真っすぐ歩けないのか野原で実証してみることにしました。
しかしそうした実験は、やがて子供達の競争心に火をつけて、誰が最も目を瞑った儘真っ直ぐ歩けるかというゲームに変わっていきます。そしてその中で唯一、まっすぐ歩くことができた「マサちゃん」は、他の子供達の賞賛を受けて、自ら指導する立場をとっていったのです。
やがて夕方になって練習も終わろうとしていた時、「マサちゃん」はもう一度皆の前で見本を見せようとしました。ところが、まさちゃんが真っ直ぐ歩いていた時とは違い、野原には風が吹いています。風は「マサちゃん」を妨害するように吹きますが、それでも彼はめげません。するとそのうち、「マサちゃん」の耳元で「ばかー、ばかー」と言ってくる「もの」があります。それは風だったのですが、なんとこの空耳を受けて、「マサちゃん」は風に本当に馬鹿にされたのだと勘違いして、風に向って怒鳴り出したのです。
そして家に帰って彼は、両親に今日あった出来事を話しました。すると「お父さん」は、
「それは、お前の方がばかだよ。風にさからってもつまらない。風というものは、強くなったり弱くなったり、息をついて吹くから、その中をまっすぐに歩くのはむずかしいよ。木の葉だって、まっすぐに落ちたり、ななめに吹きとばされたりしてるじゃないか」
と指摘しました。「マサちゃん」は聞き返します。
「風って、息をするんですか」
「うむ、息をするよ。息をするというより、風は息なんだよ」
「なんの息?」
「なんの息って……。どういったらいいかなあ、空気の息、神様の息、いろんなものの息……ただ息だよ」
「ただ、息だけ?」
「息だけだよ」
「ばかな奴だな」
そうした「まさちゃん」の発言を聞いて「お父さん」は声高く笑いました。そしてそれに続く形で、「マサちゃん」もお母さんも笑い出します。そしてガラス戸の外で風が吹いている事を確認すると、「マサちゃん」は、「ばかな風だな」と言って晴れ晴れと笑ったのでした。
2016年1月30日土曜日
悪友を売った悪友
あれは確か僕が小学校中学年か高学年、の話だったように思う。昼休み、僕たちのクラスの男子の何人かは、学校の三階のトイレに集合した。当時、僕らの学校には暖房やストーブの類の電化製品は置いておらず、冷たい風の中で授業を受けていた。学校全体がそんな風であるから、当然トイレという場所はもっと寒い。しかし僕以外の悪友達は、これから行う悪事に目を輝かせていた。
「で、吸ってみてどんなんやったが?」
ある者が好奇心満たさに聞いてきた。この時、彼らが何を話しているのか、察しの悪い僕は気づきもしなかった。が、何やら悪いことを企んでおり、悪事に巻き込まれようとしてることだけは分かった。そして一人がこう応えた。
「おう、最初はむせたけんど、吸いよったら段々慣れてきたちゃあ。意外とうまいぞ。」
その口調は何処か弾んだところがあり、聞いてもいないことを次から次へと話した。僕は自分の身に何が起こるのか、徐々に明確になってくるに連れて逃げ出したい気持ちになった。
なんでも彼は、父親が出かけている間に両親の部屋に入って、数本の煙草とライターをくすねてきたのだという。そして人気のない、松林のあたりまで移動してこっそりと吸ったそうだ。どうやらその時、彼は少年の時にしか体験し得ない、背伸びをした大人の魅力に取り憑かれたようである。そして今日、彼はその素晴らしい体験を皆で共有しようと、自分の小遣いをはたいて用意したという次第なのだ。
「ちょっと俺も吸いたいちや。吸わいてくれ。」
一人のお調子者が我先にと煙草を強請りはじめた。持ってきた悪友は気前よく箱から一本取り出し、お調子者に渡してやった。そして慣れない手つきで火をつけようとした。ところがライターを着火し、煙草に近づけるまでは良かったのだが、先端が焦げるばかりで中々つかない。
「ちゃうちゃう!近づけて吸ってみい。そしたら着くき。」
彼は煙草の先輩に言われるが儘に火をつけ、その煙を吸った。先端に日が点った。悪友共の目は輝いた。が、その刹那、彼らはどっと笑い出した。火がついたはいいものの、今度は煙に慣れておらず、むせだしたのである。吸った彼は右の指で器用に煙草を挟んで持ちながら、ゲホゲホとむせながら、顔を真赤にしていた。無論こうした場面では僕もしっかり笑った。ところが僕は随分と勝手な正確をしており、あれだけ一緒になって笑っていたにも拘らず、いざ自分の番になると、表情を強張らせて頑なに断った。
「えいちゃえいちゃ。僕はえいちゃ。」
「やれや、みんなやっちゅうきに。」
「そうぞそうぞ、ここまできたら一緒やちゃあ!!」
やや脅迫めいた悪友の勧めも、僕はどうにか凌ごうとした。それ程までに、僕は煙草を吸いたくはなかった。否、性格に言えば、吸ってばれた時に、父に責められたくなかったのである。父は他人には何も言わなかったが、我が子にはめっぽう厳しい人であった。ひとつでも自分の教えに背こうものなら、劣化の如き怒りが僕に向けられる。弟などは畳に思いっきり投げ飛ばされ、僕などは鉄の定規が自分の頬をかすめた事すらある。それまでの事を思うと、もし僕が煙草を吸ったとして、それがバレるとどのような仕打ちが待っているのか分かりかねる。だから僕は友達にどう思われようとも、否、そのような事など考える余地もなく、頑なに吸わないと言い張った。そうして、こうした僕の様子に根負けしたのか、呆れ果てたのか、悪友たちは、その日に関しては諦めたのである。
ところが次の日、僕は再び小学校に「喫煙所」へと呼び出された。そこには新たな悪友が加わっていた。そして煙草もライターも増えていた。昨日持ってきた悪友に触発されて、父親の机から、或いは下校して買ってきた者達がいたのである。そして彼らは、最初の人間がそうしたように、自慢する悪友を誘ってきて、勧めようとしているのだ。こうして彼らは自分たちの中にある、大人になるという優越感を満たそうとしているのである。
一方の僕は、そんな彼らの感情などいざ知らず、親に怒られる事を恐れず、よくもこんなに悪事をする者がいるのだなぁと呑気に感心していた。そして矢張り頑なに断った。
次の日も、そしてその次の日も、悪友たちは少しづつ増えていった。ある者は僕のように怯えながらその様子を伺っている者もいたし、ある者は僕のように臆病でありながらも、恐る恐る吸っている者もいた。そしてこういう光景を日に日に観察していると、僕はある錯覚を覚えていった。これだけの喫煙人口がいるのだから、もしかしたらそこまで悪いことではないのかもしれない。いや、仮に悪いことだとしても、これだけの人数がいてバレていないのだから、きっと少しだけ吸っても大丈夫なのではないか、と。気の弱い少年の心理というものは、善悪の問題を途端に数の問題や安全の問題にすり替えてしまうものなのである。こうして僕は、「悪友」という、巨大で心強い組織を味方につけているという錯覚を抱きながら、煙草に対する警戒心を緩めていったのである。
そして遂に、僕にもその時がやってきた。
「どうな、おまんも一本吸わんかや。」
そう言ったのは、父親の部屋から煙草を拝借していた、あの彼である。僕は取り出された一本の白い筒状の紙をじっと見つめた。正直煙草には興味はなかった。が、友達の言うことを断り続けることに心苦しさがない訳でもない。それに皆んな吸っているし、どうにかなるのではないか。そうしたぼんやりとした、地面から浮遊したような安心感が父親からの呪縛を緩めていった。やがて僕は悪友の手から煙草を受け取り口元に持っていった。そして悪友はその先端に、ライターで火をつけてくれようとしていた。ライターの火は寒いトイレの中を、か細くも温かい光で包んでくれている。そして火はゆっくりと灯された。そして僕は息を吸い込んだ。刹那、僕はむせた。否、フリをしたのだ。何故だか分からないが、煙草に火が点った時、僕は鈍く重たい不安に襲われたのである。だから僕はそれを取り払うために、先人たちがむせていたように真似をしたのだ。
「エホッエホッ、もう、もう、いい。苦しいから。」
幸いにも、悪友たちは僕がむせる姿が痛快だったようで、その一口で許してくれた。僕は助かった思いがした。これでもし誰かに咎められても、吸うフリはしていないから問題ないだろう。そう自分に言い聞かせながら吸ったことに対する罪悪をいうものをもみ消していった。
ところが世の中というものはうまい具合に出来ているようである。僕が煙草を吸って三日も経たないうちの出来事である。昼食を終えてこれから授業がはじまろうという時、教室の扉を開いたのは担任の平井先生ではなく、体育の田中先生だった。田中先生は体育の授業の際、僕達と一緒になって全力でサッカーをしたりドッチをして笑ってくれる良い先生だったのだが、この時は神妙な、不安の色を浮かべながら入ってきた。しかし僕は呑気にも、「何故この時間に先生が?」などとぼんやりと考えるばかりであった。が、クラスの何人かは何か察したらしく、普段ざわついて授業を妨害する連中ほど、その時に限って静かだった事は覚えている。やがて先生は重たい口を開いた。
「えー、本来ならこの時間は算数ながやけど、ちょっと皆んなにどうしても聞きたいことがある。正直に答えてくれ。昼休みの前に、俺が三階のトイレを使おうとしたらこれが落ちちょった。」
そう言って、先生は右手を広げて中をクラス中に見せた。するとその中には、なんと煙草の吸殻があるではないか。僕は背中のあたりから冷たいものが流れるのを感じた。
「おまんら、今から目え瞑れ。嘘はつくなよ。今までに煙草を吸った事がある奴、手を上げてみい。」
僕は素直に目を閉じて、じっと上げるべきかどうするべきかを考えていた。最早、瀬戸際にまで追い込まれた僕は、肺に吸い込んでいないから吸っていないと言ったような方便を吐く気にはとれもなれなかった。ただ怒られる覚悟を決めるのか、黙って逃げおおせるのか、そうした考えばかりが頭の端から端を行ったり来たりしていた。すると突然、先生は大きな、荒々しい声で、
「もっとおるやろう、上げてみい!!」
と怒鳴り出した。普段にこやかな田中先生が一転、このような怒声を上げるのだから余計に僕は手を上げることが怖くなってしまった。恐らく誰もいないところであったのなら、僕は泣いて耐えたかもしれない。が、今は先生が見ている。どうしても泣くことが出来ない僕は、ただ不安と恐怖に耐えながら思案するばかり。やがて先生は「よし、手を下ろせ。」と言って皆んなの手を下ろさせた。僕は遂に上げなかった。だが次に僕が気になったのは、一体何人が手を上げたか、ということであった。手を上げろなどと言っても、全員が全員てを上げるわけがない。僕のような臆病な輩が大抵で、吸う人しか手を上げていないだろうと思っていた。しかし結果は僕の予想を裏切ったのである。
「よし、今手え上げたモン、今から職員室に来い。」
そう言われると何人かの生徒は席を立ち上がり、教室から出ていった。そして僕を驚かせたのはその数である。実に教室の三分の二の男子が吸い込まれるように部屋から出ていったのである。それは吸った悪友の殆どであった。僕は再び、不安を覚えた。が、さっきとは異質な不安である。やがて手をあの場面であげなかったことを後悔しはじめた。僕は俯きながら、ピカピカに磨かれている木製の机をじっと眺めていた。
その後、授業は自習となり、生徒たちは宿題やドリルを行いながら職員室に向かった生徒を待った。やがて悪友たちは少しずつ、次々と帰ってきた。中には泣きべそをかきながら帰ってくる者もいた。少しずつ帰ってくる彼らを横目に、僕はもしかしたら自分の事を言われているのではないか、言われていたら余計に怒られるのではないか。が、言ってもらった方がかえってすっきりするのではないか……。不安は募りに募るばかりである。僕は自習に集中しているフリをしながら、じっと自らの内から出てくる暗い気持ちを押さえ込んでいた。
その日の下校の前、担任の平井先生は一枚の、まっさらなプリント用紙をクラスの全員に配っていった。そして静かに、落ち着いた口調で次のようなことを述べていた。
「何回も悪いがやけど、大事なことやき、付きおうてね。もしも煙草吸った事を言うちゃあせん人がおったら、そこにある紙に名前を書いちょきよ。吸ってない人も、もし友達の中に吸っちゅう人がおったらその紙に書いちょって。これは君らの大事な将来の為でもあるがやきに。裏切ったとかそんなんじゃなくて、その人の為を思うなら、書いちゃってよ。吸っちょった人も、今ならまだ間に合うきに、書いてくれた方が自分の為ながで。」
こうした言葉のひとつひとつに、僕は心を打たれた。もともと神経のか細い僕は、最早煙草を吸ったこと、悪友を裏切って自分だけが助かろうとしていたこと、父親に怒られることを考えること、そのすべてが嫌になっていた。そして何も書かれていない用紙に、自分の名前と「吸いました」と一言添えて提出した。先生は一枚一枚まじまじと見た後、吸った生徒も吸わなかった生徒も平等に帰してくれた。
そして下校になると数人の悪友が僕の席に集まってきた。話題は勿論、僕が吸ったことを告発しなかったことについてである。
「安井、おまん煙草吸ったって言うちゃあせんやろう。職員室で一人一人話しゆう時に、廊下でおまんの話になったきね。安いのお父は怖いきに、みんな安井の事は黙っちょいちゃろうぜって。だから黙っちょけよ。」
これは今に思うと彼らなりの口実なのであろう。当然僕の父の恐ろしさを、皆僕の話から知らない訳ではない。しかし、叱られると言う事自体、万人にとっては少なからずの苦痛は伴うはずである。よって、彼らは僕に気を遣ってそう言ってくれたのである。ところがそんな話をしている最中、悪友のうちの一人がニヤニヤとしながら、なんの悪びれもなく、とんでもない事を言い出した。
「まぁ、俺はさっきおまんの事書いたけんどね。」
一同は彼に注目した。が、誰も彼を責めたり非難したりしない。そしてそんな中、僕はすんなりとその言葉を受け入れ、返事をした。
「うん、僕も書いた。」
書いたのは自分も同じで、まず最初に問われた時、手を上げなかった自分が悪い。そう思った奥は、その時の彼をどうこうしようという気にはなれなかった。寧ろ彼の方が僕の言葉に目を丸くして動揺したようである。
「え、嘘やろ。折角みんながおまんを助けようとしちょったがやにい。」
こう意外そうに言った後、彼は再び念を押すように、「まぁ俺は書いたけんどね」と言った。
その後、家に帰った僕は、事情を知った父にこっぴどく怒られ、母に泣かれ、その日の夕食は食べさせて貰えなかった。が、それよりも僕の胸に残っていったのか、悪友の、「まぁ、俺はさっきおまんの事書いたけんどね。」という一言であった。彼が当時本当に書いたのかどうなのかについては、未だに定かではないし、明らかにする気もない。が、今でも彼と交際があることだけは確かである。
「で、吸ってみてどんなんやったが?」
ある者が好奇心満たさに聞いてきた。この時、彼らが何を話しているのか、察しの悪い僕は気づきもしなかった。が、何やら悪いことを企んでおり、悪事に巻き込まれようとしてることだけは分かった。そして一人がこう応えた。
「おう、最初はむせたけんど、吸いよったら段々慣れてきたちゃあ。意外とうまいぞ。」
その口調は何処か弾んだところがあり、聞いてもいないことを次から次へと話した。僕は自分の身に何が起こるのか、徐々に明確になってくるに連れて逃げ出したい気持ちになった。
なんでも彼は、父親が出かけている間に両親の部屋に入って、数本の煙草とライターをくすねてきたのだという。そして人気のない、松林のあたりまで移動してこっそりと吸ったそうだ。どうやらその時、彼は少年の時にしか体験し得ない、背伸びをした大人の魅力に取り憑かれたようである。そして今日、彼はその素晴らしい体験を皆で共有しようと、自分の小遣いをはたいて用意したという次第なのだ。
「ちょっと俺も吸いたいちや。吸わいてくれ。」
一人のお調子者が我先にと煙草を強請りはじめた。持ってきた悪友は気前よく箱から一本取り出し、お調子者に渡してやった。そして慣れない手つきで火をつけようとした。ところがライターを着火し、煙草に近づけるまでは良かったのだが、先端が焦げるばかりで中々つかない。
「ちゃうちゃう!近づけて吸ってみい。そしたら着くき。」
彼は煙草の先輩に言われるが儘に火をつけ、その煙を吸った。先端に日が点った。悪友共の目は輝いた。が、その刹那、彼らはどっと笑い出した。火がついたはいいものの、今度は煙に慣れておらず、むせだしたのである。吸った彼は右の指で器用に煙草を挟んで持ちながら、ゲホゲホとむせながら、顔を真赤にしていた。無論こうした場面では僕もしっかり笑った。ところが僕は随分と勝手な正確をしており、あれだけ一緒になって笑っていたにも拘らず、いざ自分の番になると、表情を強張らせて頑なに断った。
「えいちゃえいちゃ。僕はえいちゃ。」
「やれや、みんなやっちゅうきに。」
「そうぞそうぞ、ここまできたら一緒やちゃあ!!」
やや脅迫めいた悪友の勧めも、僕はどうにか凌ごうとした。それ程までに、僕は煙草を吸いたくはなかった。否、性格に言えば、吸ってばれた時に、父に責められたくなかったのである。父は他人には何も言わなかったが、我が子にはめっぽう厳しい人であった。ひとつでも自分の教えに背こうものなら、劣化の如き怒りが僕に向けられる。弟などは畳に思いっきり投げ飛ばされ、僕などは鉄の定規が自分の頬をかすめた事すらある。それまでの事を思うと、もし僕が煙草を吸ったとして、それがバレるとどのような仕打ちが待っているのか分かりかねる。だから僕は友達にどう思われようとも、否、そのような事など考える余地もなく、頑なに吸わないと言い張った。そうして、こうした僕の様子に根負けしたのか、呆れ果てたのか、悪友たちは、その日に関しては諦めたのである。
ところが次の日、僕は再び小学校に「喫煙所」へと呼び出された。そこには新たな悪友が加わっていた。そして煙草もライターも増えていた。昨日持ってきた悪友に触発されて、父親の机から、或いは下校して買ってきた者達がいたのである。そして彼らは、最初の人間がそうしたように、自慢する悪友を誘ってきて、勧めようとしているのだ。こうして彼らは自分たちの中にある、大人になるという優越感を満たそうとしているのである。
一方の僕は、そんな彼らの感情などいざ知らず、親に怒られる事を恐れず、よくもこんなに悪事をする者がいるのだなぁと呑気に感心していた。そして矢張り頑なに断った。
次の日も、そしてその次の日も、悪友たちは少しづつ増えていった。ある者は僕のように怯えながらその様子を伺っている者もいたし、ある者は僕のように臆病でありながらも、恐る恐る吸っている者もいた。そしてこういう光景を日に日に観察していると、僕はある錯覚を覚えていった。これだけの喫煙人口がいるのだから、もしかしたらそこまで悪いことではないのかもしれない。いや、仮に悪いことだとしても、これだけの人数がいてバレていないのだから、きっと少しだけ吸っても大丈夫なのではないか、と。気の弱い少年の心理というものは、善悪の問題を途端に数の問題や安全の問題にすり替えてしまうものなのである。こうして僕は、「悪友」という、巨大で心強い組織を味方につけているという錯覚を抱きながら、煙草に対する警戒心を緩めていったのである。
そして遂に、僕にもその時がやってきた。
「どうな、おまんも一本吸わんかや。」
そう言ったのは、父親の部屋から煙草を拝借していた、あの彼である。僕は取り出された一本の白い筒状の紙をじっと見つめた。正直煙草には興味はなかった。が、友達の言うことを断り続けることに心苦しさがない訳でもない。それに皆んな吸っているし、どうにかなるのではないか。そうしたぼんやりとした、地面から浮遊したような安心感が父親からの呪縛を緩めていった。やがて僕は悪友の手から煙草を受け取り口元に持っていった。そして悪友はその先端に、ライターで火をつけてくれようとしていた。ライターの火は寒いトイレの中を、か細くも温かい光で包んでくれている。そして火はゆっくりと灯された。そして僕は息を吸い込んだ。刹那、僕はむせた。否、フリをしたのだ。何故だか分からないが、煙草に火が点った時、僕は鈍く重たい不安に襲われたのである。だから僕はそれを取り払うために、先人たちがむせていたように真似をしたのだ。
「エホッエホッ、もう、もう、いい。苦しいから。」
幸いにも、悪友たちは僕がむせる姿が痛快だったようで、その一口で許してくれた。僕は助かった思いがした。これでもし誰かに咎められても、吸うフリはしていないから問題ないだろう。そう自分に言い聞かせながら吸ったことに対する罪悪をいうものをもみ消していった。
ところが世の中というものはうまい具合に出来ているようである。僕が煙草を吸って三日も経たないうちの出来事である。昼食を終えてこれから授業がはじまろうという時、教室の扉を開いたのは担任の平井先生ではなく、体育の田中先生だった。田中先生は体育の授業の際、僕達と一緒になって全力でサッカーをしたりドッチをして笑ってくれる良い先生だったのだが、この時は神妙な、不安の色を浮かべながら入ってきた。しかし僕は呑気にも、「何故この時間に先生が?」などとぼんやりと考えるばかりであった。が、クラスの何人かは何か察したらしく、普段ざわついて授業を妨害する連中ほど、その時に限って静かだった事は覚えている。やがて先生は重たい口を開いた。
「えー、本来ならこの時間は算数ながやけど、ちょっと皆んなにどうしても聞きたいことがある。正直に答えてくれ。昼休みの前に、俺が三階のトイレを使おうとしたらこれが落ちちょった。」
そう言って、先生は右手を広げて中をクラス中に見せた。するとその中には、なんと煙草の吸殻があるではないか。僕は背中のあたりから冷たいものが流れるのを感じた。
「おまんら、今から目え瞑れ。嘘はつくなよ。今までに煙草を吸った事がある奴、手を上げてみい。」
僕は素直に目を閉じて、じっと上げるべきかどうするべきかを考えていた。最早、瀬戸際にまで追い込まれた僕は、肺に吸い込んでいないから吸っていないと言ったような方便を吐く気にはとれもなれなかった。ただ怒られる覚悟を決めるのか、黙って逃げおおせるのか、そうした考えばかりが頭の端から端を行ったり来たりしていた。すると突然、先生は大きな、荒々しい声で、
「もっとおるやろう、上げてみい!!」
と怒鳴り出した。普段にこやかな田中先生が一転、このような怒声を上げるのだから余計に僕は手を上げることが怖くなってしまった。恐らく誰もいないところであったのなら、僕は泣いて耐えたかもしれない。が、今は先生が見ている。どうしても泣くことが出来ない僕は、ただ不安と恐怖に耐えながら思案するばかり。やがて先生は「よし、手を下ろせ。」と言って皆んなの手を下ろさせた。僕は遂に上げなかった。だが次に僕が気になったのは、一体何人が手を上げたか、ということであった。手を上げろなどと言っても、全員が全員てを上げるわけがない。僕のような臆病な輩が大抵で、吸う人しか手を上げていないだろうと思っていた。しかし結果は僕の予想を裏切ったのである。
「よし、今手え上げたモン、今から職員室に来い。」
そう言われると何人かの生徒は席を立ち上がり、教室から出ていった。そして僕を驚かせたのはその数である。実に教室の三分の二の男子が吸い込まれるように部屋から出ていったのである。それは吸った悪友の殆どであった。僕は再び、不安を覚えた。が、さっきとは異質な不安である。やがて手をあの場面であげなかったことを後悔しはじめた。僕は俯きながら、ピカピカに磨かれている木製の机をじっと眺めていた。
その後、授業は自習となり、生徒たちは宿題やドリルを行いながら職員室に向かった生徒を待った。やがて悪友たちは少しずつ、次々と帰ってきた。中には泣きべそをかきながら帰ってくる者もいた。少しずつ帰ってくる彼らを横目に、僕はもしかしたら自分の事を言われているのではないか、言われていたら余計に怒られるのではないか。が、言ってもらった方がかえってすっきりするのではないか……。不安は募りに募るばかりである。僕は自習に集中しているフリをしながら、じっと自らの内から出てくる暗い気持ちを押さえ込んでいた。
その日の下校の前、担任の平井先生は一枚の、まっさらなプリント用紙をクラスの全員に配っていった。そして静かに、落ち着いた口調で次のようなことを述べていた。
「何回も悪いがやけど、大事なことやき、付きおうてね。もしも煙草吸った事を言うちゃあせん人がおったら、そこにある紙に名前を書いちょきよ。吸ってない人も、もし友達の中に吸っちゅう人がおったらその紙に書いちょって。これは君らの大事な将来の為でもあるがやきに。裏切ったとかそんなんじゃなくて、その人の為を思うなら、書いちゃってよ。吸っちょった人も、今ならまだ間に合うきに、書いてくれた方が自分の為ながで。」
こうした言葉のひとつひとつに、僕は心を打たれた。もともと神経のか細い僕は、最早煙草を吸ったこと、悪友を裏切って自分だけが助かろうとしていたこと、父親に怒られることを考えること、そのすべてが嫌になっていた。そして何も書かれていない用紙に、自分の名前と「吸いました」と一言添えて提出した。先生は一枚一枚まじまじと見た後、吸った生徒も吸わなかった生徒も平等に帰してくれた。
そして下校になると数人の悪友が僕の席に集まってきた。話題は勿論、僕が吸ったことを告発しなかったことについてである。
「安井、おまん煙草吸ったって言うちゃあせんやろう。職員室で一人一人話しゆう時に、廊下でおまんの話になったきね。安いのお父は怖いきに、みんな安井の事は黙っちょいちゃろうぜって。だから黙っちょけよ。」
これは今に思うと彼らなりの口実なのであろう。当然僕の父の恐ろしさを、皆僕の話から知らない訳ではない。しかし、叱られると言う事自体、万人にとっては少なからずの苦痛は伴うはずである。よって、彼らは僕に気を遣ってそう言ってくれたのである。ところがそんな話をしている最中、悪友のうちの一人がニヤニヤとしながら、なんの悪びれもなく、とんでもない事を言い出した。
「まぁ、俺はさっきおまんの事書いたけんどね。」
一同は彼に注目した。が、誰も彼を責めたり非難したりしない。そしてそんな中、僕はすんなりとその言葉を受け入れ、返事をした。
「うん、僕も書いた。」
書いたのは自分も同じで、まず最初に問われた時、手を上げなかった自分が悪い。そう思った奥は、その時の彼をどうこうしようという気にはなれなかった。寧ろ彼の方が僕の言葉に目を丸くして動揺したようである。
「え、嘘やろ。折角みんながおまんを助けようとしちょったがやにい。」
こう意外そうに言った後、彼は再び念を押すように、「まぁ俺は書いたけんどね」と言った。
その後、家に帰った僕は、事情を知った父にこっぴどく怒られ、母に泣かれ、その日の夕食は食べさせて貰えなかった。が、それよりも僕の胸に残っていったのか、悪友の、「まぁ、俺はさっきおまんの事書いたけんどね。」という一言であった。彼が当時本当に書いたのかどうなのかについては、未だに定かではないし、明らかにする気もない。が、今でも彼と交際があることだけは確かである。
2016年1月29日金曜日
ああ華族様だよ と私は嘘をつくのであったー渡辺温
「私」は隣室のコーカサス人の、「アレキサンダー」に連れられて、横浜の夜を遊び歩いていました。そこで彼らは異国の匂いのする街で彼らは様々な夜を生きる女性と巡りあい、別れていきます。
その夜、「私」と「アレキサンダー」は「エトワール」と云うホテルに入って生きました。そして、そこにはなんと十人もの絢爛たる女性たちがならんでいたのです。その中から「私」は一人気になる女性を選び、共に寝室に入って行きました。ふと、
「あなた、偉い方?」
と女性はといました。すると、「私」は、
「ああ、華族様さ。けれども男爵だよ。」
と云って彼女を口説いていくのでした。
その夜、「私」と「アレキサンダー」は「エトワール」と云うホテルに入って生きました。そして、そこにはなんと十人もの絢爛たる女性たちがならんでいたのです。その中から「私」は一人気になる女性を選び、共に寝室に入って行きました。ふと、
「あなた、偉い方?」
と女性はといました。すると、「私」は、
「ああ、華族様さ。けれども男爵だよ。」
と云って彼女を口説いていくのでした。
2016年1月27日水曜日
注文の多い料理店ー宮沢賢治
二人の若い紳士はイギリスの兵隊の格好をして、「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」と山奥で狩りを楽しんでいました。また彼らは白熊のような犬を連れていましたが、山の環境に耐えきれず、死んでしまいます。その様子を見て、二人は「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」、「ぼくは二千八百円の損害だ。」と、悔しそうにしていました。
しかし、彼らは狩りを終えて帰ろうかという時、道が分からなくなってしまいます。そしてどうしようかと思案しているところに、ふと目の前に「山猫軒」という、立派な西洋づくりの料理店が表れました。そして二人は躊躇なく中へと入っていきます。
ところで、この「山猫軒」という建物は奇妙なつくりをしており、中は多くの扉で仕切られているのです。更に奇妙なことに、各部屋には「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」、「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」といった具合に、訪問者に向けてのメッセージが書かれています。
またそのメッセージの大半は、訪問者に向けての注文が書かれています。(※)二人はこれをはじめは、マナーに五月蝿い主人がいるのではないか、貴族たちが集まる料理店なのではないかといった予想を立てていきました。ですがこの幾つもの注文の多さに、やがて違和感を感じ、どうやら自分たちは食べる側ではなく、食べられる側なのではないか、という仮説が脳裏を過ります。すぐさま彼らは逃げようとしますが、扉は全く動かなくなってしまいました。そして奥の扉では、大きな鍵穴が二つついており、なんとそこから大きな目玉がきょろきょろと動いているではありませんか。二人は顔が紙屑のような表情になり、互いに顔を合わせながらブルブルと震わせて泣きました。
その時、部屋の中にあの二匹の白熊の犬が入ってきて、大きな目のあった部屋に飛び込んでいきました。やがて中からは獣の声が聞こえてきます。
気が付くと、彼らは草の中に立っており、道を通りかかった専門の漁師に救出されました。ですが、一度くしゃくしゃになった彼らの顔は、東京に帰っても、お湯に浸かっても元の通りにはならなかったようです。
この作品では、〈自然を征服していたつもりが、かえって征服されかけた、哀れな人間の姿〉が描かれています。
物語の冒頭では、彼らはあたかも自然にあるものを自分たちが征服しているかのように、狩りを楽しんだり、或いはその生命を「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と言って、金銭によって支配しているつもりでいるようです。このように云いますと、まるでこの若い紳士二人が、特別軽薄な人物のように捉えられるかも知れません。しかしこうした観点は私達にも少なからず身についているものなのではないでしょうか。例えば、監視員のいる海水浴場では、私たちはなんの警戒心もなく水遊びを楽しんでいますし、海で採れた魚介類をあちらが安い、こちらが高いといった風に値踏みする習慣もあります。ですからこの作品に登場する紳士たちは特別な悪人という訳ではなく、私達と同じ感覚をもった人々として観るべきでしょう。
そしてそんな彼らは、辺ぴな山奥に「山猫軒」という西洋料理店を偶然にも発見します。道に迷い、空腹であった彼らははじめ、喜々として入っていきますが、徐々にこの店が自分たちがもてなされる為に存在しているのではないことに気がついていくのです。
監視員の目の届き安全が確保されている海では、安心して水泳が楽しめますが、これが津波の時ならどうでしょうか。更には穏やかであっても違う場所であれば、浅瀬かと思えば大きな窪みがあり、そこには渦が巻いており人間一人を簡単に吸い込む力を持っているのです。
また先程の魚の例えで言えば、スーパーで私達が簡単に手に取っている魚は海の中を泳いでおり、人間と格闘した結果、捕獲されたものなのです。場合によっては海の中へ引きずり込まれる事だってあります。
このように、自然とは人間が制圧している環境下においては、人間にとって有効に働いてくれていますが、一歩人間の社会を出ると、私達を飲み込むほど強大な力を持っているのです。また熊に襲われたり、マムシやハブといった蛇に噛まれたりする等、直接的に人間を侵略しようとする場合もあります。
ですから、この若い紳士達の失敗というのも、人間の社会のあり方を過度に世界全体に押しつけてしまったことにあるのでしょう。そして彼らは自分たちが道具のように惜しんだ犬の力によって助けられ、都会へと帰っていきます。ですが人間の社会の外には安全の保証がないことをしった彼らは、自然の驚異に身を震わせているために、いつまで経っても紙屑のような表情は取れないでいるのです。
※
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」
しかし、彼らは狩りを終えて帰ろうかという時、道が分からなくなってしまいます。そしてどうしようかと思案しているところに、ふと目の前に「山猫軒」という、立派な西洋づくりの料理店が表れました。そして二人は躊躇なく中へと入っていきます。
ところで、この「山猫軒」という建物は奇妙なつくりをしており、中は多くの扉で仕切られているのです。更に奇妙なことに、各部屋には「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」、「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」といった具合に、訪問者に向けてのメッセージが書かれています。
またそのメッセージの大半は、訪問者に向けての注文が書かれています。(※)二人はこれをはじめは、マナーに五月蝿い主人がいるのではないか、貴族たちが集まる料理店なのではないかといった予想を立てていきました。ですがこの幾つもの注文の多さに、やがて違和感を感じ、どうやら自分たちは食べる側ではなく、食べられる側なのではないか、という仮説が脳裏を過ります。すぐさま彼らは逃げようとしますが、扉は全く動かなくなってしまいました。そして奥の扉では、大きな鍵穴が二つついており、なんとそこから大きな目玉がきょろきょろと動いているではありませんか。二人は顔が紙屑のような表情になり、互いに顔を合わせながらブルブルと震わせて泣きました。
その時、部屋の中にあの二匹の白熊の犬が入ってきて、大きな目のあった部屋に飛び込んでいきました。やがて中からは獣の声が聞こえてきます。
気が付くと、彼らは草の中に立っており、道を通りかかった専門の漁師に救出されました。ですが、一度くしゃくしゃになった彼らの顔は、東京に帰っても、お湯に浸かっても元の通りにはならなかったようです。
この作品では、〈自然を征服していたつもりが、かえって征服されかけた、哀れな人間の姿〉が描かれています。
物語の冒頭では、彼らはあたかも自然にあるものを自分たちが征服しているかのように、狩りを楽しんだり、或いはその生命を「じつにぼくは、二千四百円の損害だ」と言って、金銭によって支配しているつもりでいるようです。このように云いますと、まるでこの若い紳士二人が、特別軽薄な人物のように捉えられるかも知れません。しかしこうした観点は私達にも少なからず身についているものなのではないでしょうか。例えば、監視員のいる海水浴場では、私たちはなんの警戒心もなく水遊びを楽しんでいますし、海で採れた魚介類をあちらが安い、こちらが高いといった風に値踏みする習慣もあります。ですからこの作品に登場する紳士たちは特別な悪人という訳ではなく、私達と同じ感覚をもった人々として観るべきでしょう。
そしてそんな彼らは、辺ぴな山奥に「山猫軒」という西洋料理店を偶然にも発見します。道に迷い、空腹であった彼らははじめ、喜々として入っていきますが、徐々にこの店が自分たちがもてなされる為に存在しているのではないことに気がついていくのです。
監視員の目の届き安全が確保されている海では、安心して水泳が楽しめますが、これが津波の時ならどうでしょうか。更には穏やかであっても違う場所であれば、浅瀬かと思えば大きな窪みがあり、そこには渦が巻いており人間一人を簡単に吸い込む力を持っているのです。
また先程の魚の例えで言えば、スーパーで私達が簡単に手に取っている魚は海の中を泳いでおり、人間と格闘した結果、捕獲されたものなのです。場合によっては海の中へ引きずり込まれる事だってあります。
このように、自然とは人間が制圧している環境下においては、人間にとって有効に働いてくれていますが、一歩人間の社会を出ると、私達を飲み込むほど強大な力を持っているのです。また熊に襲われたり、マムシやハブといった蛇に噛まれたりする等、直接的に人間を侵略しようとする場合もあります。
ですから、この若い紳士達の失敗というのも、人間の社会のあり方を過度に世界全体に押しつけてしまったことにあるのでしょう。そして彼らは自分たちが道具のように惜しんだ犬の力によって助けられ、都会へと帰っていきます。ですが人間の社会の外には安全の保証がないことをしった彼らは、自然の驚異に身を震わせているために、いつまで経っても紙屑のような表情は取れないでいるのです。
※
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」
「どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください」
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」
「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」
2016年1月21日木曜日
捨児ー芥川龍之介(あらすじのみ)
浅草の末永町にある信行寺の和尚、日錚は、寺の前に捨てられていた捨児を育てることにします。そして彼は自分の仕事の傍ら、勇之助と名付けたこの捨児を大事に育てていました。しかしその一方では、出来ることなら本当の母親に合わせてやりたいとも思っていたのです。
そんなある年の冬、和尚のもとに三十四五の女性が訪れます。話を聞くと、彼女は捨児の母親であり、家が株に手を出したばかりに夜逃げし、我が子を手放さなければならなくなったというのです。その後夫は運送屋に奉公へ、女はある糸屋の下女として働き、やがては生活にも余裕がでてきはじめます。
ところが、そんな夫婦にも不幸が襲いました。夫はチブスにかかり一週間もしないうちに亡くなり、子供も夫の百ヶ日も明けないうちに命を落としたのです。途方に暮れた彼女は、半年泣き続け、その後捨児の事を思い出し、寺に参上したのでした。そしてその時、和尚の蓮華夫人の説教を聞き、より思いを強くしたのだとも云います。
こうして捨児は実の母親に引き取られ、幸せに暮らしていたように思われました。
ところが、その女というのは、実は勇之助の本当の母親ではなかったそうです。成長した勇之助は、母親の死後、ひょんな事から母親の素性を知ることになりました。株のことや運送屋のことは嘘ではないようですが、実際にいた夫婦の子どもというものは女の子で、なんと既に死んでいたというではありませんか。
しかし、そのような真実を知ったところで、勇之助の母親への愛情は変わらず、寧ろ一層懐かし思うようになったのだといいます。そして彼曰く、事実を知った時、彼の中で女は母親以上の人間になったのだとも言うのです。
そんなある年の冬、和尚のもとに三十四五の女性が訪れます。話を聞くと、彼女は捨児の母親であり、家が株に手を出したばかりに夜逃げし、我が子を手放さなければならなくなったというのです。その後夫は運送屋に奉公へ、女はある糸屋の下女として働き、やがては生活にも余裕がでてきはじめます。
ところが、そんな夫婦にも不幸が襲いました。夫はチブスにかかり一週間もしないうちに亡くなり、子供も夫の百ヶ日も明けないうちに命を落としたのです。途方に暮れた彼女は、半年泣き続け、その後捨児の事を思い出し、寺に参上したのでした。そしてその時、和尚の蓮華夫人の説教を聞き、より思いを強くしたのだとも云います。
こうして捨児は実の母親に引き取られ、幸せに暮らしていたように思われました。
ところが、その女というのは、実は勇之助の本当の母親ではなかったそうです。成長した勇之助は、母親の死後、ひょんな事から母親の素性を知ることになりました。株のことや運送屋のことは嘘ではないようですが、実際にいた夫婦の子どもというものは女の子で、なんと既に死んでいたというではありませんか。
しかし、そのような真実を知ったところで、勇之助の母親への愛情は変わらず、寧ろ一層懐かし思うようになったのだといいます。そして彼曰く、事実を知った時、彼の中で女は母親以上の人間になったのだとも言うのです。
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