2012年3月14日水曜日

大島が出来る話ー菊池寛

「譲吉」は高等商業の予科に在学中、故郷にいる父が破産して退学の危機に直面したことがあります。そんな彼を救ってくれた人物こそ、同窓の友人の父、「近藤氏」だったのです。以来、彼は「近藤夫人」の手から学資を頂いていました。そして、学校を卒業して社会人になっても彼と彼女の関係は変わることはなく、譲吉は何かあると近藤夫人を頼り、彼女は彼女で彼の欲しがるものを与えていました。ですが、そんな彼でもたったひとつだけ手に入らないものがありました。それが「大島絣の揃い」でした。彼は大島を買いたいとは思いつつも金銭の問題から購入には至らず、それを買う機会を次第に失っていきます。
そんなある時、譲吉は電報でお世話になっていた近藤夫人が突然亡くなったことを知ることになります。これまで彼の生活を影で支えていた人物の死を聞いて、譲吉の心には大きな穴が開いてしまいます。
そうして途方に暮れているある日、彼は近藤の家の人々から夫人の形見である大島を頂きました。念願の大島に彼の妻は大喜びしました。彼も妻と同じく大島を手に入れたことに多少の満足は感じていましたが、素直に喜べない様子。どうやら、彼は恩人の近藤夫人から大島の揃いを得たことに対して、複雑な心情を抱いているようです。では、一体それはどのようなものなのでしょうか。

この作品では、〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉が描かれています。

この作品のラストでは、近藤夫人からもらった大島の揃いに対して、譲吉と妻の心情が対照的に描かれています。妻は素直にそれを「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、素直に喜んでいましたが、当の譲吉はどうだったでしょうか。「一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って」いました。そもそも近藤夫人と「与えられる」関係にあった彼は、日頃から彼女に対して感謝の念を抱いていました。そんな彼のもとに大島の揃いが、彼女の形見として送られてきたのです。形見というからには、当然これは彼女が死ななければ手に入らなかったものであり、幾ら彼にとって欲しいものだったとは言え、素直に喜べるはずもありません。まさに彼は、彼女への感謝の気持ちがあったからこそ、その時の彼にとって、最大の贈り物であったであろう大島の揃いを受け取っても喜べず、複雑な気持ちにならなければならなかったのです。

2012年3月11日日曜日

屋上の狂人ー菊池寛

狂人であり自身の体に障害を持っている勝島義太郎は、毎日屋根の上に上がって雲を眺めていました。彼曰く、その中で金比羅さんの天狗が天女と踊っており、自分を呼んでいるというのです。こうした彼の様子に、父である義助は日頃から手を焼いていました。彼は息子の体には狐か、或いは猿が取り付いており、それが義太郎を騙しているのだと考えている様子。
そんなある時、彼らの家に近所の藤作が訪ねてきました。彼はよく祈祷が効く巫女さんが昨日から彼らの島に来ているので、一度見てもらってはどうかと義助に提案してきます。そこで彼は早速巫女に祈祷してもらうよう依頼します。そして、彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の体に宿り、木の枝に吊しておいて青松葉で燻べろ、というお告げを義助らに残しました。そこで彼らは気はすすみませんでしたが、神様のお告げならばと、義太郎に松葉につけた火の煙を近づけます。そんな中、義太郎の弟である末次郎がたまたま家に帰って来ました。彼は父から一切を聞くと憤慨し、松葉についた火を踏み消しました。そしてその発端をつくった父に対して、兄は狐の憑依でこうなったのではなく、治らない病によって狂人になっていることを説明し、巫女を帰しました。こうして兄は弟に救われ、再び屋根の上に上がります。そして兄弟は互いをいたわりながら、夕日を眺めるのでした。

この作品では、〈長男の病気が治らないという事実を、自分たち為に自分たちの物語を付け加えて捉えなければならなかった父親と、当人の為にありの儘に捉えようとする次男〉が描かれています。

この作品で起こっている事件というものは、あらすじの通り勝島家の長男である義太郎の狂人的な性質を中心に起こっています。そして、その性質に対する登場人物の考え方というものは大きく分けて2つあり、彼らはこのどちらか一方を採用しています。ひとつは、義助達が主張しているひ非現実的な狐憑依説。もうひとつ、弟の末次郎の主張する現実的な病気説。では、これらの考え方には具体的にどのような違いがあるのでしょうか。
まず義助が採用している狐憑依説ですが、彼らは義太郎の狂人的な性質が治る事を信じたいが為にこの説を採用しています。というのも、義助の「お医者さまでも治らんけんにな。」の台詞から察するに、恐らく彼ら一家は以前に医者から、義太郎の病気は治らないと宣告されたのでしょう。ですが、父である義助をはじめとする家族らは、「阿呆なことをいうない。屋根へばかり上っとる息子を持った親になってみい。およしでも俺でも始終あいつのことを苦にしとんや。」という台詞からも理解できるように、狂人の息子を持ったという事実をどうしても受け止める事ができません。そこで彼らは、自分たちの為に、病気とは別のところに狂人的な性質の原因を求めはじめます。そして次第に、狐、或いは猿が取り憑いているという結論に至り、祈祷にすがるようになっていったのです。
では、一方の末次郎の考えはどうでしょうか。彼は兄の病気を病気として捉え、それと向き合っていこうとしています。そうした姿勢は、(義太郎)「末やあ! 金比羅さんにきいたら、あなな女子知らんいうとったぞ。」、(末次郎)「そうやろう、あなな巫女よりも兄さんの方に、神さんが乗り移っとんや。」という彼らのやりとりからも理解できます。また、彼は狐憑依説を唱えていた父達を喝破する際、次のように述べています。「それに今兄さんを治してあげて正気の人になったとしたらどんなもんやろ。(中略)なんでも正気にしたらええかと思って、苦し むために正気になるくらいばかなことはありません。」彼は、単純に正気に戻す事を考えるよりも、現在の当人の事を考えた上でも現状が一番ではないかとここでは述べているのです。

2012年3月9日金曜日

M侯爵と写真師(修正版)

「僕」と同じ会社に務めている杉浦という写真師は、大名華族中第一の名門で重厚謹厳の噂が高く、政界にも大きな影響を及ぼすであろう人物、M侯爵の特種を日頃からねらっていました。そんな彼の苦労も実ってか、杉浦はその後侯爵と親交を深めていき、やがてはすっぽん料理をご馳走になったことを「僕」に話して聞かせます。「僕」は「僕」でその話を聞いて、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることに」感嘆しました。
そんなある時、「僕」は仕事の関係でM侯爵と話す機会を得ることになります。もともと侯爵のことを尊敬していたこともあり、仕事を引き受けて早速一人で出かけて行きました。ところが、用談が済んでしまうと、侯爵は急に杉浦の話に話題を変えて、「ああ杉浦というのかね。ありゃ君、うるさくていかんよ」と言い出します。そして、その言葉に「僕」は驚くと同時に不快感を覚えました。やがて彼は、そうした2人の食い違いはどこにあったのかと考えていきます。さて、一体それはどのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈社会的な立場の違う相手にタテマエで話すあまり、かえって素直に受け取られてしまった為に起こった、ある食い違い〉が描かれています。

まず、2人の食い違いを考えるにあたって、「僕」は一度、お互いの気持ちをもう一度確認しはじめます。杉浦の話では、「侯爵ぐらい杉浦に好意を持っている人は、ちょっとなさそうに思われ」ます。ですが侯爵の話では、杉浦は侯爵にとってうるさいいやがられ者だというのです。しかし、ここでひとつ大きな疑問が残ります。それは杉浦が侯爵にすっぽん料理をご馳走になったことです。幾ら杉浦が図々しいは言え、突然押しかけてご飯をたかるとは考えにくいものです。ですが、侯爵は彼にご馳走する意思はなかったと話していました。ともすれば、侯爵はご馳走する意思はなかったが言葉の上ではそう言ったのではないか、という考えに「僕」は至りました。
そして次に「僕」は何故侯爵は口先だけの約束をし、杉浦はそれを素直に受け取ってしまったのか、と考えはじめます。そもそも、M侯爵は華族であり、政界にも少なからず精通している為、常日頃からタテマエで話す事に慣れているのでしょう。つまり、タテマエで話す事がひとつの技として完成しているのです。そしてこのすっぽんの一件の際も、言葉の上ではご馳走に誘っているものの、それは彼を拒否する皮肉としてそう言ったに過ぎないのです。ですが、写真師である杉浦は、日頃から他人の事情は二の次にして、図々しいとも言える方法で写真を撮ってきたこともあり、相手に言葉の上でも強く拒否される事も多々あった事でしょう。そんな彼がタテマエから「ご馳走してやる」と言われたところで、その意図に気づくのは難しいはずです。こうした2人の立場の違いから、この食い違いが起こっているのです。

2012年3月6日火曜日

M公爵と写真師ー菊池寛

「僕」と同じ社に勤めている杉浦という写真師は、華族の中でも第一の名家で、政界にも影響を及ぼす可能性のある人物、M侯爵の写真を撮るため、日頃から彼を追っていました。そんな杉浦の努力が実を結んでか、彼はM侯爵に顔を覚えてもらい、やがてはすっぽん料理をご馳走してもらう仲にまで2人の関係は発展していきます。これを聞いた「僕」ははじめ、「大名華族の筆頭といってもよいM侯爵、そのうえ国家の重職にあるM侯爵が、杉浦のような小僧っ子の写真師、爪の先をいつも薬品で樺色にしている薄汚い写真師と、快く食卓を共にすることにもかなり感嘆」していました。
「僕」はある時、仕事でそんなM侯爵と話す機会を得ることになりました。もともと公爵を尊敬していた彼は、早速一人で侯爵家へと出かけます。ですが、やがて「僕」はこの対談で、M侯爵の話と杉浦の話との間には、ある大きな食い違いがあるということを知ることになるのです。それは一体どのようなものだったのでしょうか。

この作品では、〈他人に好意のあるフリをする事は不快なものである〉ということが描かれています。

まず、上記にある大きな食い違いとは、実は侯爵は杉浦に対して嫌悪感を感じているということです。しかし当の杉浦の話ではあらすじの通り、彼は侯爵に気に入られていると言っています。そして、この2人の意見を聞いた後、「僕」は「どんな二人の人間の関係であるとしても、不快ないやな関係であると思いました。」では、彼は具体的に一体どのようなところに不快感を示したのでしょうか。どうやら彼は、侯爵が言ったであろう、「フランス料理を食わせてやる。金曜においで」という一言に関してそう感じている模様です。というのも、「僕」はこの台詞から、次第に侯爵は大なり小なり、杉浦に対して好意のある「フリ」をしていたのだろうと考えていきます。少し余談になりますが、この「フリ」というものは、実は現実の私達の生活にもありふれているものではないでしょうか。本人の前では好意的に友達として仲良く接していても、その人がその場を離れた途端に非難する人々もいますし、仕事の上、組織の上で致し方なく付き合っているとは言え、周りの人々にその人の非難の言葉を撒き散らす人々だっています。そして、こうした人々の行動はどうにもやりきれない不気味さがあるように感じます。というのも、彼らは相手に自分の気持ちを決して知らせません。それがお互いの溝をより深めていってしまいます。つまり、一方は関われば関わる程好意を持ちますし、もう一方は嫌悪を助長させていくのです。これが「僕」の感じた不快感の正体なのではないでしょうか。そして、この不快感を感じているからこそ、何も知らず、いつものようにM侯爵のところに向かう杉浦「僕」は哀れみを感じているのです。

2012年3月4日日曜日

易と手相ー菊池寛

この作品ではタイトルの通り、易と手相の2つの占いについて、著者の個人的な意見が書かれてあります。その中で著者は、易占いよりも手相占いの方が信用に足るものであると主張し、その理由を2つ述べています。ひとつは実際に当たっているのか、どうなのかとういう自身の経験的なものから。では、もうひとつは一体どのような理由なのでしょうか。

この作品では、〈現実の対象と向き合っていない、ある一部の占い師への批判〉が描かれています。

まず、易よりも手相を信用するもうひとつの理由について彼は、「人間の身体についているものだけに、まだ易などよりは、信じられる」のだと述べています。つまり彼は、人間を占っているのだから、人間の一部を対象として占っている手相の方が信用出来るのだと述べているのです。言わば、これは著者の今まで生きてきた中での実感として述べているものでしょう。私達は何かを創作したり仕事をする時、必ず自分たちが扱う対象と向き合いながら作業をするものです。例えば、医者や介護士であればその人の状態や表情を見ながら作業しますし、画家ならば描く対象を観察しながら鉛筆をはしらせます。そして、占い師はその人の未来を占うものです。ですが、易占いなどの一部の占いは、その人ではなく本やゼイチクなどを睨みながらその人を占います。著者は、そうした対象を見ずして、メスや絵の具などの道具を見ながら占っているところに所謂、「胡散臭さ」を感じており、手相の方が信用できるのだと言っているのです。

2012年3月3日土曜日

入れ札ー菊池寛

州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次(くにさだちゅうじ)は、11人の子分を連れて信州追分(おいわけ)の今井小藤太の家を目指していました。しかし11人全員を連れて行っては目立ち過ぎる為、3人の子分を残し、残り何人かの子分を始末する必要があります。ですが、これまで自分の為に命を投げ出してきた子分達に対して、自ら甲乙をつける事が忠次にはどうしてもできない様子。そこで彼は、子分たちに入れ札で投票させて自分たちで誰が忠次についていくのかを決めさせる事にしました。
そして、この入れ札に関して一番嫌な心で見ていたのは稲荷の九郎助でした。彼は子分の中では一番の年輩であり、本来ならば忠次の第一の子分でなければいけませんでした。ところが、彼は忠次からも他の子分たちからもそのように扱われた事がありません。子分たちは表面的には「阿兄!阿兄!」と慕ってはいるものの、内心はそう思っておらず、忠次までもが自分を軽んじている事を彼は知っていたのです。そして今度はが入れ札をする事で、これらの事実が明るみに出ようとしているのです。そうすれば、九郎助の自尊心はますます傷ついてしまいます。そこで、彼は自分の自尊心を守るため、ある卑怯な手口を使ってしまいます。それは一体、どのようなものだったのでしょうか。

この作品では〈表面的な自分の地位を守ろうとするあまり、かえって自尊心を傷つけてしまった、ある男〉が描かれています。

まず、九郎助の考えた卑怯な手口とは、自分に票を入れるというものでした。そうすれば、自分の他にあと数票誰かが入れてくれれば自分の体裁は保たれ、親分である忠次の付き添いが出来ると考えたのです。ところが蓋を開けてみると、本人以外、誰も九郎助の名前を書いているものはありませんでした。札は彼以外は他の何名かの名前に集中していました。そこから彼は、他の者達は心の底から忠次の事を考えて投票した事を察します。そして、その一方で九郎助は自分だけが自らの自尊心を守るために投票した事を悔いはじめます。
そして、そんな彼に更に追い打ちをかける人物がいました。それは九郎助が自分に票を入れてくれるだろうと期待していた人物の一人、弥助でした。彼は、「十一人の中でお前の名をかいたのは、こ の弥助一人だと思うと、俺あ彼奴等の心根が、全くわからねえや」と嘘を言って、彼に近づいてきました。これに九郎助は怒りを感じるも、その怒りを沈めるしかありません。というのも、弥助の嘘を咎めるのには、自分の恥しさを打ち開ける必要があります。ですが、これ以上自分の自分の自尊心を傷つけたくない彼はただ黙っているしかありません。その一方で、九郎助は弥助がこんな白々しい嘘を吐くのは、自分があんな卑しい事をしたのだとは、夢にも思っていなければこそなのだと思い、ますます情けなくなっていきます。まさに、彼は自分の自尊心を守ろうとするあまり、かえってそれに振り回され、結果的に傷つかなければならなかったのです。

2012年3月1日木曜日

仇討三態・その三ー菊池寛

宝暦三年、正月五日の夜のこと、江戸牛込二十騎町の旗本鳥居孫太夫の家では、奉公人達だけで祝酒が下されていました。そして、人々の酔いがまわってきた頃、料理番の嘉平次はその楽しさのあまり、自分の仕事を放り出して酒の席へと顔を出してきました。そして、一座の人々は「お膳番といえば、立派なお武士だ!」と、彼を煽てはじめます。すると、嘉平次もその気になりはじめ、あたかも自分は刀が振れるかのように、武士であったかのうに語りはじめます。やがて、調子にのった彼は旧主の鈴木源太夫が朋輩を討ち果たした話を、あたかも自分の話のように話しはじめてしまいます。そして一座の方も、嘉平次の話を一切疑わず、彼の話をすっかり聞きいっている様子。
ですがその晩、彼はつい先頃奉公に上ったばかりの召使いのおとよという女に刺し殺されてしまいます。実はおとよは鈴木源太夫の娘であり、母が死んで以来、父の仇を討つ機会を待っていたのでした。

この作品では、〈武士に憧れるあまり、かえって武士になる危険を理解できなかった、ある男〉が描かれています。

まず、嘉平次は酒の席で、自分が煽てられて気持よくなる手段として、自分はかつて武士であったという嘘をついています。つまり、彼は武士に対して、強い憧れを抱いていると言えるでしょう。そしてその憧れが強くなっていくにつれて、彼の嘘は大きく膨れ上がっていきます。ですが、この時彼は、武士とはどのような職業か、或いはどうやって生計をたてているのか、全く理解出来ていません。これは、病人を看病する姿に憧れるも、血や摘便(便を肛門から取り出す作業)を体験して退職する看護師や、或いは雄弁に語る姿に憧れ立候補するも、当選した後、他人からの批判に堪えられず辞任してしまう政治家と同じです。いずれの人々も、自分の職業が何をするのかが理解できていないのです。看護師は人の健康を守るため、血や尿、必要ならば便を扱うこともありますし、政治家は人々に批判されながらも、お互いの意見をぶつけて国を運営していくことが仕事です。武士という職業もやはり同じで、彼らは人を斬り殺して生計をたてています。つまりその一方では、自分が斬り殺される側の人々がいるのであり、自分が知らない何処かで誰かに恨まれているのです。また相手に斬りかかるということは、当然相手も反撃してくるので、自分がいつ死んでも可笑しくありません。ですが、そうした危険を嘉平次は一切理解していませんでした。彼は、武士という言葉の響きの良さに酔いしれて、それを全体に押し広げていたに過ぎないのです。もし、彼がそうした危険性を少しでも考えていたならば、平然と自分は人を殺した事がある等とは言わず、こうした悲劇は起こらなかったことでしょう。